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太宰の「津軽」を歩く(9完)小泊・タケとの再会

小説「津軽」の像記念館の一角に立つ太宰とタケの像=6月2日
太宰とタケが再会した運動場=2日

 太宰治は1944年初夏、津軽を旅し、その足跡を自伝的小説「津軽」に刻んだ。39年の生涯で唯一となった古里を巡る旅を通じ、彼は何を感じ、何を残していったのか。75年余の歳月を経た新緑の津軽を訪ね歩いた。
(青森総局・荘司結有)

 最終目的地、小泊村(現中泊町小泊)に着いた太宰は「たけ」と再会を果たす。「たけ」こと越野タケは津島家に仕え7年間、子守として太宰に教育を施した。

 たけは、うつろな眼をして私を見た。「修治だ。」私は笑って帽子をとった。「あらあ。」それだけだった。笑いもしない。まじめな表情である

 再会の場となったのは国民学校の運動場。四半世紀ぶりに顔を合わせた2人は腰掛け、運動会をぼんやりと眺める。

 平和とは、こんな気持の事を言うのであろうか。もし、そうなら、私はこの時、生れてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい

 津軽随一の名家、津島家に息の詰まる思いをしていた太宰は「庶民の母」タケに限りないやすらぎを感じた。太宰は「自分の根っこ」を見いだしペンをおく。
 運動場は今も町のグラウンドとして残る。近くにある「小説『津軽』の像記念館」の元館長、柳沢良知さん(81)は当時のいきさつについて、タケに取材したことがある。
 証言によると、クライマックスである散歩の場面など、事実は小説とやや異なる。柳沢さんは「思い描いた美しい再会の風景をストーリーとして演出した」とみる。
 タケは太宰が自宅に一泊し、夜中まで思い出を語り合ったとも明かした。太宰は幼少期の自分の様子を熱心に尋ね、「自分の本当の母親は誰なのか」と聞いたという。
 津軽への旅は、太宰が古里の風景に心象を重ねながら、自らの源流をたどる道のりでもあった。


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2020年06月28日日曜日


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