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太宰の「津軽」を歩く 安藤宏・東大教授に聞く

安藤宏・東大教授

 太宰治の「津軽」は古里の情景を描いただけの紀行文ではなく、旅を通じて自己の輪郭を浮き上がらせた自伝的小説といわれている。太宰文学を研究する安藤宏東大教授(62)は「古里を旅し、『端っこ』の人間であるという自らのアイデンティティーを自覚していった」と指摘する。
(青森総局・荘司結有)

 安藤教授によると、旅のルートに作品の持つ意味が隠されている。旅先の多くは太宰が初めて足を踏み入れた場所。生家のある金木町(現五所川原市金木町)も多くは書かず、学生生活を送った青森や弘前など、人格形成に大きく関わった土地も巡っていない。
 「自らの『中心地』は過去の作品の引用などにとどめ、正面からは描いていない。『N君』こと親友中村貞次郎ら直接的な血縁関係のない中心から離れた人と共に龍飛崎など津軽の周縁を歩き、太宰は自らの宿命に近づいていった」
 宿命とは何か。新興地主の六男に生まれた太宰は「中心から外れた人間である」という意識を常に持っていた。金木への帰郷で中心的権威である長兄文治らとの「隔たり」をあらためて確認。さらに旅の終盤、小泊村(現中泊町小泊)で子守の越野タケと再会を果たし「自分は兄とは育ちが違う。(庶民である)タケの子だ」との思いを強くする。
 安藤教授は「太宰は家族の末端に連なる自分、つまり『端っこ』の人間であるとのアイデンティティーを津軽の旅で自覚した」と意義付ける。
 旅の時期が太平洋戦争中だったことも作品に奇妙に影響した。「兄弟間の権力構造は天皇制家族国家の仕組みにも共通する」と指摘し、「太宰は戦時下でヒエラルキーの末端に立ち位置を確保した。そのため作風が安定し『津軽』をはじめ多くの佳作を生んだ」とみる。
 「都会人として行き詰まった太宰が津軽人として再生していく物語の中に、夢のような津軽の情景が時たま顔をのぞかせる」ことも魅力だと言う。弘前城下の奥深さを描いた「隠沼(こもりぬ)」や、戦争とは無縁な小泊のにぎやかな運動会−。「時代を超越した美しい津軽の原風景が人々の心をつかむのだろう」と話す。

[あんどう・ひろし]1958年東京都生まれ。東大文学部卒。上智大文学部助教授などを経て、2010年から現職。専門は日本近代文学。著書に「太宰治 弱さを演じるということ」など。


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2020年06月30日火曜日


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