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<仙台いやすこ歩き>(121)レインボーフロート 夢膨らむ7色七夕気分

 青い空にふわふわ浮かぶ白い雲を見ていたら、食べたくなったものがある。ん、飲みたくなった、かな。クリームソーダ…なんて夢のある響きだろう。それならやっぱり昭和レトロな喫茶店だねと、2人は青葉区一番町の南町通りにあるエルベへ。
 ビルの地下へ階段を下りていくと、「喫茶 軽食 エルベ」の電光看板。廊下を進めば、ガラス窓から広がるのは、昭和40〜50年代によくあった喫茶店の風情だ。
 ドアを開けると奥のカウンターにロマンスグレーのマスターがいる、と思いきや、迎えてくれたのは若いマスターの庄子寛さん(43)である。そこには不思議な物語があった。
 エルベ自体は昔からの喫茶店で、オフィス街のサラリーマンから熱い支持を集めてきたお店。ここで40年以上働いていたマスターが、84歳の年齢になった時、静かに店を閉めようと思っていた。一方、庄子さんは食材関連の卸会社に勤務していたが、店を始めたいと店舗物件を探していた。「業者さんから近々閉まる店として紹介されました。暗めの階段を下りながら、人通りも多くない場所で地下でもあるし厳しいかなと思ったんです。でも、店に入ったら一目ぼれでした」と穏やかな口調の庄子さん。このままの形でお願いしますと話して、それまで見ず知らずだったマスターから庄子さんへと、エルベはバトンタッチされたのだ。
 マスターが店を閉めて1カ月の引き継ぎ期間を経て、10月1日新生オープン。2017年のことである。
 人気のメニューもそのまま受け継がれた。材料は教えてもらっても、マスター自体、目分量での味付けだった。「初めの頃は、以前と味が変わったとお客さんが減っていったのですが、マスターの味に近づけようと頑張っていたら戻ってきてくれました」。基本メニューを完成させるのに精いっぱいだったというオープン1年目。2年目になってから、新メニューが生まれてくる。そこにも小さな物語が。
 エルベ伝統のメニューの中に、クリームソーダがあった。「基本はソーダ水とシロップで作るので、いろんな味のフロートを作ろうと思いました(クリームソーダとソーダフロートは同じもの)」。そうしたら、スタッフさんがメニューを作ってきてくれ、「レインボーフロート」とネーミングされていたという。そこで、8色あったうち、クリームソーダは独立させ、7色のレインボーフロートの誕生となったわけだ。
 名前も見た目も、夢あるドリンク。早速ネットで知った人たちが全国から来るようになった。2人で来て7色注文する女子も。
 目の前に並んだ、赤(イチゴ)、黄緑(マスカット)、オレンジ(マンゴー)、紫(ブドウ)、黄(パイナップル)、ピンク(モモ)、青(ブルーハワイ)のフロートからは、涼やかな風が吹いてくるよう。赤いチェリーも懐かしくていとおしい。浮かんでいるのは南半球ニュージーランド産のアイスクリーム。「うーん、さすが濃いね〜」。「今年は七色の吹き流しならぬ、7色のレインボーフロート。仙台の夏にぴったりだね」と夢見心地のいやすこだ。

◎日本発売当初ぜいたく品

 昭和の喫茶店にあった代表的な人気メニューの一つがクリームソーダ。ソーダフロートとも言われ、メロンソーダなどの炭酸飲料にアイスクリームを載せた飲み物である。
 もともとはアイスクリームソーダと呼ばれていて、1874年に米国・テキサス州のアイスクリーム・パーラーが考案したという説と、フィラデルフィアで開催された博覧会でロバート・グリーンという人が販売したという説が有力。
 日本でも100年以上前の1902(明治35)年、資生堂がソーダ水やアイスクリームを提供する店で販売を始めたとされている。当時は大変なぜいたく品で、文豪やモダンな人たちの人気を集めた。まんじゅう1個が1銭という物価の時代、アイスクリームソーダは1杯25銭。今のように誰もが楽しめるようになったのは、冷凍庫付き冷蔵庫が普及した70年代以降である。ちなみに、ソーダ水の喉ごしの要となる炭酸水は、最近、腸の働きを活発にするといわれ、需要が増えている。

 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2020年07月06日月曜日


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