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太宰の「津軽」を歩く(番外編)子守・タケの肉声

柳沢さんが撮影したタケさんの8ミリ映像(1978年撮影)
柳沢良知さん

 太宰治は1944年初夏、津軽を旅し、その足跡を自伝的小説「津軽」に刻んだ。39年の生涯で唯一となった古里を巡る旅を通じ、彼は何を感じ、何を残していったのか。75年余の歳月を経た新緑の津軽を訪ね歩いた。
(青森総局・荘司結有)

 太宰治の小説「津軽」で重要な役割を果たす子守の「たけ」こと越野タケさん(1898〜1983年)が、太宰について語った音声が中泊町小泊に残っている。「小説『津軽』の像記念館」の元館長、柳沢良知さん(81)が78年に収録した。小説とはやや異なる事実や、早世した「わが子」への思いが、90分のテープに刻まれている。

 <誰だったきゃなって考えで「ああ修ちゃだな」って思って。(中略)向こうだば「タケ、タケ」って来ちゃはんでわだって分かったべし、わだばすっかど分がんねしたでばの>

 子どもの運動会が開かれていた運動場で太宰が近づいてきた時、最初は誰が来たのか分からなかった。顔にあるあざで「修ちゃ」(太宰=本名・津島修治=の愛称)と気付いたと再会の場面を振り返っている。

 <「あらあこのひとスッパイでねえな」ってな>

 小説は近くの「竜神様」に2人でお参りに行ったシーンで幕を閉じるが、実際は近所の女性たちも一緒だった。その中の1人が、軍靴を履いた太宰を「スパイじゃないか」と疑ったらしい。

 <わ、小せ時どした子どもであったって。そったらごとばり聞いた。いぐね童だったべって。いや、おめだっきゃいくていくてって…>

 自宅に泊まった太宰は幼少期の姿をしきりに尋ね、「良くない子どもだったろう」と聞いたという。タケさんはインタビューで「修ちゃはいい子だった」と何度も口にしている。

 <驚ぐほど涙も出ねしたじゃ。あまりに残念での>

 再会から4年後、太宰は愛人と入水自殺する。人気作家の死は大々的に報じられたが、新聞を取っておらず、近所の和尚から訃報を聞いた。あまりに残念で涙も出なかった、と明かしている。

 <こうしてみんな偉いさまたちでも生徒方だちでも訪ねて来るし、わも幸せだばって。修治さん今頃まで生きでれば…わもこうして長生きしてるもんだもの。たいした喜んで暮らすべなとちょこちょこ思う>

 太宰の死後、研究者や学生らが自身の元に足を運んでくれ、タケさんは「幸せだ」と話した。自分も長生きしたのだから、太宰も生きていれば2人で喜びを共有できたのに、と寂しがった。
 太宰との思い出を語るタケさんは「わが子のことのように、いとおしそうな表情だった」(柳沢さん)という。


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2020年07月06日月曜日


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