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夢追う空気、忠実に再現 よみがえったトキワ荘

[トキワ荘]東京都豊島区の旧椎名町にあった木造2階のアパート。1952年12月完成。兵庫県宝塚市から上京し、仕事場兼住居を探していた手塚治虫さんが53年1月に入居して以降、62年3月までに地方出身の若い漫画家計11人が入れ替わりながら次々に住み着き、出版社の雑誌編集者やファンから「マンガ荘」と呼ばれた。老朽化で82年12月に解体された。
復元された石ノ森さんの仕事部屋に腰を下ろす山内さん。窓の外は60年当時に見えていた景色が絵画で表現されている
56年ごろ、結核で栗原市内の療養所に入院していた山内さん(右)を見舞う石ノ森さん(左)と赤塚さん(中央奥)。手塚治虫さんに憧れ、3人そろってベレー帽をかぶっている(山内さん提供)

 引き戸を開けてすぐの板の間にディズニー映画のフィルム缶が何十本も積み上がり、部屋の奥に置かれた作業机の周辺には映画雑誌や文芸誌が散らばる。
 東京都豊島区に7日オープンする区立トキワ荘マンガミュージアムの2階に、登米市出身の漫画家石ノ森章太郎さん(1938〜98年)が自室の隣に仕事場として借りていた部屋が忠実に復元された。

 「当時の生活感がうまく表現され、素晴らしい出来栄えだ。宮城県佐沼高の先輩だった石ノ森さんに誘われて、夜行列車で上京した60年前を思い出す」。石ノ森さんの元アシスタントで、60年9月から1年半ほど仕事場に寝泊まりしていた同郷の山内ジョージさん(79)=東京都江戸川区=は目を細める。
 石ノ森さんや赤塚不二夫さん(35〜2008年)ら当時入居していた漫画家は、1961年秋から冬にかけて新築アパートなどに次々に引っ越した。62年3月まで仕事場に住んだ山内さんは、漫画ファンの間で「トキワ荘に暮らした最後の漫画家」として知られる。

 各居室は4畳半で月3000円。炊事場や便所は共同で、風呂場はなし。空調設備もなかった。若い漫画家たちは、殺虫剤を繰り返しまいても湧くナンキンムシに閉口しながら、夏は居室の引き戸や窓を開け放ち、冬は布団をかぶって火鉢で手を温め創作に励んだ。
 山内さんは「トキワ荘というと貧相なすみかという印象を抱かれがちだが、戦後復興期の一般的なアパートだった」と振り返る。
 豊島区の再現事業に当たり、山内さんは建設現場に何度も足を運んで仕事場の内部の様子はもちろん、トキワ荘のピンク色がかった屋根瓦や淡い緑の窓枠など、建物外観の色みまで細かくアドバイスした。
 山内さんは「当時住んだ漫画家の中で、自分は最年少だった。今や生き証人になってしまった」と照れ笑いする。

 トキワ荘の復活は、同区南長崎(旧椎名町)の地元住民と全国のファンの20年来の悲願だった。
 再現事業に協力した文化施設の整備・再生を手掛ける丹青研究所(東京)文化財環境研究部の大木美枝子室長は「漫画家が退去して約60年もたつ。元居住者の証言や当時の記録映像、写真が何とか集まる今のタイミングが、トキワ荘を忠実によみがえらせる最後のチャンスだった」と感慨深げに語る。

 日本を代表する漫画家が若手時代に共同生活を送り、技術を磨き合ったアパートとして世界的に知られるトキワ荘が、38年ぶりに復活した。山内さんの証言を基に、トキワ荘が漫画文化の発展に果たした役割や、再現を契機に漫画家の出身地と連携した地域活性化を模索する地元住民の期待と課題を紹介する。
(東京支社・橋本智子)


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2020年07月03日金曜日


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