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雫石事故五十回忌(3) 「空の安全」願いは一つ

慰霊碑を清掃する航空自衛隊山田分屯基地の隊員。風化防止のために毎年訪れている=7月3日、岩手県雫石町

 全日空機と自衛隊機が衝突し、162人が犠牲となった「雫石事故」が7月30日、五十回忌を迎えた。惨劇の現場となった雫石町は事故直後から今日まで遺族らを支え続け、新たな絆も生まれている。遺族、全日空、自衛隊、そして町にとっての49年間をたどった。
(盛岡総局・浦響子)

 「50年近く、『道義的責任』という言葉に悩まされてきた」
 雫石事故現場「慰霊の森」(岩手県雫石町)で2019年4月25日にあった大規模改修工事の祈願祭。遺族代表の青木清さん(84)=静岡県富士市=のあいさつに、参列者は表情をこわばらせていた。
 青木さんは父晴雄さん=当時(61)=、母仁子さん=同(57)=を失った。その直後、全日空幹部に言われた。「道義的責任は感じるけれど、われわれもあなた方と同じ被害者だ」。ずっと、許せずにいた。

 1971年7月30日に全日空機と自衛隊機が衝突し、162人が死亡した雫石事故。空域未分離が招いた未曽有の惨事は当時の防衛庁長官と航空幕僚長の辞任に発展し、軍事優先だった航空行政の歴史を変えた。
 事故を契機に75年に制定された改正航空法は、民間機と自衛隊訓練機の空域を完全に分けるよう運航ルールを厳格化。レーダー管制の整備も進み、「空の安全」は向上し、現在に至る。
 当事者である全日空と自衛隊でも、安全への意識は大きく変わった。
 全日空の研修施設「ANAグループ安全教育センター」(東京都大田区)の入り口に、雫石事故から積み上がった年月日が表示されている。併せて「私たちは決してゼロに戻さないことを誓います」と、社として最後の死亡事故にする決意が示してある。
 センターに入るとすぐ、事故機の残骸が目に飛び込む。白と青の塗料が色鮮やかなままの外板、墜落の衝撃でひしゃげた座席。捜索や遺体安置所の様子を映した生々しい映像も流れる。
 設立は2007年。慰霊の森を旅行で訪れた20代女性社員が「過去の事故を振り返り、安全の重要性を伝える場を設置してほしい」と提案した。これまで延べ12万人以上のグループ社員が研修を受けた。
 安全推進センター業務推進部の松嶋浩子安全教育チームリーダーは「事実を真摯(しんし)に受け止めて学び、各職場で安全な行動を実践することが大事だ」と語る。

 航空自衛隊は「安全の日」と定めた7月1日に、災害派遣を除く航空機の運航を原則中止して安全教育や点検を実施している。
 事故機が所属していた松島基地の担当者は「雫石事故が与えた影響は大きく、その歴史を忘れてはならない。風化防止と教訓継承に努めたい」と強調する。
 毎年7月30日に慰霊の森で営まれる追悼行事には、全日空と自衛隊も参列する。命日以外も折に触れ、部署ごとや個々で訪れ、清掃活動を続けてきた。
 慰霊の森の大規模改修では、シンボルの「航空安全祈念の塔」が建て替えられた。改修費約6000万円の大半は、全日空と自衛隊有志の寄付だった。
 青木さんは昨年の祈願祭のあいさつを「安全であることに『ありがとう』と言えるような塔であってほしい」と締めくくった。
 事故当時、全日空幹部から掛けられた言葉に対する憤りは、その後の社の姿勢によって「加害者、被害者の意識を一切かなぐり捨て、当事者全員が同じ目線で空の安全を目指したい」という思いに昇華した。

[事故責任]札幌発羽田行き全日空ボーイング727旅客機と衝突した航空自衛隊第1航空団松島派遣隊F86F戦闘機の訓練生と指令機の教官は事故翌日、業務上過失致死容疑で逮捕された。裁判では衝突地点がジェットルート内かどうかなどが争点となり、1983年9月の最高裁判決で自衛隊側の過失が認定された。国、全日空、保険会社による損害賠償請求訴訟は89年5月、過失責任を「自衛隊2、全日空1」とする東京高裁判決が確定した。


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2020年08月01日土曜日


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