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雫石事故五十回忌(4完) いたわり合い 未来を紡ぐ

新しくなった「航空安全祈念の塔」を見上げる高橋登見男さん(右)と妻アサヨさん。塔は雫石町と富士市が支え合う姿勢を体現する=岩手県雫石町の「森のしずく公園」

 全日空機と自衛隊機が衝突し、162人が犠牲となった「雫石事故」が7月30日、五十回忌を迎えた。惨劇の現場となった雫石町は事故直後から今日まで遺族らを支え続け、新たな絆も生まれている。遺族、全日空、自衛隊、そして町にとっての49年間をたどった。(盛岡総局・浦響子)

 盛岡市から岩手県雫石町に入ってすぐの林道を進み、550段の階段を上る。人里離れた山の頂に立つ慰霊碑。節目の日、その場所はひっそりしていた。
 1971年7月30日に全日空機と自衛隊機が衝突し、162人が亡くなった雫石事故。五十回忌のことし7月30日、追悼式典は新型コロナウイルス感染症の影響で来年に延期されたが、遺族数人が墜落現場を訪れて花を手向けた。

 「ここに来ると49年前を思い出せるから」。事故で両親を亡くした亀井浩さん(79)=静岡県富士市=は三十三回忌以来、17年ぶりに訪れた。
 「当時、地元の人にとても良くしてもらった。今もこんなにきれいにしていただき、本当にありがたい」と感謝する。
 近くに住む高橋登見男さん(77)、アサヨさん(73)夫妻が現場を管理している。慰霊堂回りの雑草をむしり、庭で育てたキクやダリアを慰霊碑に供える。
 五十回忌前にはアサヨさんが帽子と服を手作りし、敷地内にある6体の地蔵に着せた。「遺族に『前に来た時より荒れた』と思わせたくない」との一心からだ。
 事故現場は75年に「慰霊の森」として整備された。鎮魂のため遺族や航空関係者が訪れる一方、凄惨(せいさん)な事故ゆえ「心霊スポット」とも言われるようになった。
 遺族や町関係者らでつくる一般財団法人「慰霊の森」は今年5月、名称を「森のしずく公園」に改めた。
 敷地内の樹木を伐採して景観を明るくし、シンボルの「航空安全祈念の塔」を建て替えた。新しい塔は125人が犠牲になった富士市、雫石町それぞれの象徴である富士山と岩手山の標高を1000分の1に縮小した石柱を組み合わせ、未来へ続く絆を表現した。
 改称に賛同する遺族の一人は「当時の悲しみはもう森のしずくになって浄化された」と話す。財団事務局を務める町総務課の徳田靖主査は「追悼の場であり続けると同時に、誰もが気軽に来て空の安全を祈る場になってほしい」と願う。

 事故によって交差した東北の農村と東海の港町は、この半世紀でつながりを深化させた。
 三十三回忌翌年の2004年、雫石町と富士市の主催で子ども同士の交流が始まった。隔年で行き来し、農場で遊んだり地引き網漁を体験したりと互いの風土を体感する。これまでに約600人が参加した。
 昨年、雫石を訪れた富士市吉原一中1年飯塚恵里さん(13)は、参加を機に曽祖父の兄2人が事故の犠牲になったことを知った。
 慰霊碑前で手を合わせ、「事故が起きれば一瞬で亡くなってしまう。今を精いっぱい生きようと感じた」。ホームステイで同年代との交流も深め、「雫石とのつながりを続けていきたい」と考えている。
 両市町は友好都市提携と災害時相互応援協定も締結。13年に雫石で豪雨被害が発生した際は、富士から職員3人が派遣された。
 財団理事長の猿子恵久町長は「つながりは財産。亡くなった方々の、み霊のおかげで今があることを後世に残す」と決意する。
 不幸な出来事の中で、いたわり合いながら築いた関係が未来を紡ぐ。

[雫石事故]1971年7月30日、千歳発羽田行きの全日空ボーイング727旅客機と訓練中の自衛隊F86F戦闘機が岩手県雫石町の上空で衝突し、墜落した。全日空機の乗客乗員計162人全員が死亡、自衛隊機の乗員1人は脱出して無事だった。当時、民間航空機の事故としては世界最大の犠牲者を出した。


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2020年08月02日日曜日


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