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震災の窮状 重なる思い 仙台空襲体験・東京の石川さん、岩手・大槌の越田さんと交流10年

自宅の団地の庭で植え込みを眺める石川さん=8月上旬、東京都町田市
石川さんが贈ったコートなどを手に喜ぶ越田ミサさん(左)と夫の秀雄さん=2015年1月、岩手県大槌町の仮設住宅

 東京と岩手の女性が心の交流を続けている。2人をつなぐのは、1945年7月の仙台空襲と2011年3月の東日本大震災。戦後75年、震災10年目の夏に時を超えて支え、励ます思いが交錯する。
 「居ても立ってもいられなかった」。9年前の3月11日に震災が発生してからしばらくし、東京都町田市の石川暁子さん(85)は自宅で新聞記事に目を奪われた。記事は津波で自宅を失った岩手県大槌町の越田ミサさん(81)の窮状を伝えていた。
 石川さんの脳裏に、幼い頃に仙台市内で遭った空襲がよみがえる。一瞬にして家財を失った記憶が越田さんの姿に重なった。
 当時、石川さんは南町通(青葉区)付近に住んでいた。片平丁小の5年生、父は「橋本洋裁店」を営んでいた。
 7月10日未明、空襲警報が鳴り、家の近くにあったビルの地下の防空壕(ごう)へ避難した。激しい爆音に「ここも危ない」と出て行く大人について、広瀬川の土手まで懸命に走って逃げた。
 夜が明けて戻ると、一面焼け野原だった。離れ離れになった家族とは無事再会できたが、自宅は跡形もなかった。
 一家で親戚を頼りに向かった秋田市で、8月15日を迎える。全て奪われた理不尽さ、さよならも言えなかった友人との別れ。「二度とあんなつらい思いをしたくない」
 その後も事あるごとに戦争体験を思い出してきた石川さんにとって、越田さんの被災は「人ごとではなかった」。町役場に電話をかけて「連絡を取りたい」と頼み込んだ。手作りの洋服やコートなどを年に数回届け、手紙や電話で励まし続けた。
 やりとりは今も続く。越田さんは「私を忘れずにいてくれるのがうれしい」と言う。狭い仮設住宅で思い悩むこともあった。今は自宅を再建。娘一家と暮らし始め、落ち着いた。それでも家族や周囲に言えない悩みは少なくない。
 「いつも話を聞いてくれて心が楽になる。震災はつらくて悲しいけど新たな出会いもできた」。越田さんは愚痴を受け止めてくれる石川さんに感謝する。
 2人とも数年前に夫を亡くした。今は新型コロナウイルスの感染拡大で自粛生活が続くが「大抵のことは耐えられる」。直接会ったのは1度きりでも、前向きな思いは共通する。


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2020年08月14日金曜日


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