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本土決戦を想定? 宮城・利府の山中に洞窟、旧陸軍が掘削か

全長50メートルほどの廊下状の空間
小さな入り口。町は入らないよう呼び掛けている
銃眼とみられる穴と、寝そべって銃を構えるための台状の部分

 「宮城県利府町の山中に防空壕(ごう)のような洞窟がある」。同町の会社員男性(39)が「読者とともに 特別報道室」に情報を寄せた。現地で取材を進めると、戦時中に造られた洞窟には違いないが、防空壕ではないようだ。のどかな旧利府村が戦場となったかもしれない危機を伝える遺構だった。

 洞窟は、利府町菅谷地区の住宅地から離れた山中にある。町の許可を得て、住民らと7月下旬に入った。縦約30センチ、横約60センチの狭い入り口を抜けると、全長50メートル、幅1メートルほどの廊下のような地下空間が広がる。高さは約1.7メートルあり、少しかがんで立って歩くことができる。
 途中で道が二つに分かれた。片方の突き当たりは、半球状に開けて広場になっている。地上に向けて小さな穴があり、手前は台状に掘られている。
 「民家から遠いので防空壕ではない。利府は空襲被害に遭わなかった。洞窟は本土決戦に備えた地下壕だ。敵が松島や塩釜から上陸することを想定し、旧陸軍が利府に造った」
 菅谷地区で生まれ育った元町議伊藤一亥さん(81)が証言する。広場の小さな穴は、台状の部分に寝そべって構えた兵士が銃口を出す銃眼だという。
 伊藤さんは「付近の山には入り口がふさがっているものも含め、銃眼がある地下壕が5カ所以上はある」と語る。
 伊藤さんは戦中の1944年〜45年ごろ、つるはしやシャベルを持ち、数十人で山に入る兵士を何度も見た。大人たちが彼らを「穴掘り部隊」と呼んでいた。山から発砲音を聞いた記憶もある。
 「利府町の他の地区にも戦闘を想定した痕跡がある」と話すのは、町郷土史会会長の菅原伸一さん(83)。沢乙地区には、敵を砲撃するために造ったトンネルがあったという。
 伊藤さんの父は、出征した硫黄島で崖から転落して負傷したため、同島の戦いの前に帰還したが、右半身にまひが残った。父の体験談や空襲のサイレンにおびえる母の姿を、今でも思い出す。
 伊藤さんは「地下壕を見れば、本土決戦が迫っていたことが分かる。無謀な戦いが起こらず、本当に良かった」と振り返る。
(多賀城支局・石川遥一朗)


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2020年08月15日土曜日


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