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会津の高潔さ貫く 地元から惜しむ声 渡部恒三さん死去

有志が開いた誕生会で、車いすから降りてガッツポーズをして歩く渡部さん=2019年5月、会津若松市

 「会津のため、福島のため、日本のために尽くした」。衆院副議長などを務めた渡部恒三さんが88歳で亡くなった。福島県関係者からは24日、高潔でひた向きな会津人らしさを貫いた人柄をしのぶ声が相次いだ。

 優しさと厳しさを持ち合わせた渡部さんを慕う多くの県議や首長らは「恒三一家」と呼ばれた。元民主党参院議員の和田洋子(ひろこ)さん(79)=会津坂下町=は「背中を追い、政治の何たるかを教わった」と話す。
 急逝した夫を継いで自民党県議になり、政界へ。1995年参院選で、渡部さんらが結成した新進党の公認で初当選。「皆の気持ちを受け止め国や県に届けるのが政治家と、とうとうと聞かされた」と涙ぐむ。
 二大政党制実現を訴え続けた渡部さん。立憲民主党と国民民主党の合流を目前に果て、和田さんは「小さな主張は脇に置き、まずは固まりになれ。お前ら本当に国を思ってるのか、と怒られそうだ」と言う。
 「約束を守ること、人を裏切らないこと。教えを守ったから自分は県議を続けられた」と振り返るのは、国民党県連代表代行の県議瓜生信一郎さん(71)=喜多方市=。72〜87年、渡部さんの秘書を務めた。
 初めて会ったのは約50年前、渡部さんの衆院選初挑戦の頃。「自民党公認を得られず、無所属での立候補に地元は反対。東京での励ます会で『必ず当選してまいります』と宣言し、本当に当選した。恒三節が聞けないのは寂しい」と言葉を詰まらせた。
 地域のインフラ整備にも力を注いだ。会津美里町長の渡部英敏さん(79)は「陳情はいつも恒三先生。本当にお世話になった」。
 町と昭和村を結ぶ冬場の難所、博士山峠。渡部さんは博士山トンネルの整備促進期成同盟会長を長年務めた。英敏さんは「本当に残念。完成を見てもらいたかった」と悔やんだ。


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2020年08月25日火曜日


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