宮城のニュース

空駆ける石巻の町工場(2) 畜産農家から転身、急成長

創業当時の自動車ハーネス組み立て作業=1989年ごろ
阿部秀敏社長

 役員・従業員45人の小さな会社ながら、航空機部品の研磨を主力事業に成長させた石巻市のエヌエス機器。バブル崩壊、東日本大震災、新型コロナウイルス禍と難局が続く中、技術を文字通り磨いてきた町工場の航跡をたどる。(報道部・高橋一樹)

 はじまりの地は、乳牛が草をはむ平野だった。
 エヌエス機器(石巻市)の阿部秀敏社長(61)は、旧河南町で乳牛10頭ほどを所有する畜産農家の長男として生まれ育った。
 「家は毎日忙しかった。1泊以上の家族旅行の記憶はないなあ」。ブランドのある地域でもなく、1次産業だけで食べていく大変さを肌で感じていた。
 宮城県内の農業高校を卒業後、実家の酪農を手伝いながら会社を転々とした。ある時、夜勤先で部品の組み立て作業が目に留まる。

 これから生き残るためには新しいことを始めた方がいい−。一念発起して父と相談し、乳牛を全て売って牛舎を工場に改修した。
 26歳だった1986年、従業員7人で「NS化学工業所」を創業。今に通じる社名は、最初に加工を請け負ったサンダルの商品名から名付けた。
 事業の柱にしたのは、自動車に張り巡らせる電線「ワイヤハーネス」の組み立て作業だ。宮城県内の元請け工場から受け取った電線を図面通りまとめてテープを巻き、付属品を付ける。
 社内でこなせる量には限界があり、内職の発注先を広げていった。地元に加え旧北上町、旧河北町などで農家や漁師、酒屋の妻らに集まって作業してもらい、会社が回収していった。
 「典型的な労働集約型の事業。内職なら時間無制限で数量を出せるので、大変でも互いに稼げる仕事になっていた」(阿部社長)。当時の家は間取りが広く、大きな作業台を簡単に置けたことも大きかった。

 いすゞ自動車のトラック「エルフ」のワイヤハーネスを主に手掛けた。エルフはバブル景気による物流需要の増加を背景に、当時は月8000台が売れたという。その「血管」ともいえる部品で、仕事はいくらでもあった。
 阿部社長はフットワークを生かして急速に事業規模を拡大。創業6年目には従業員約30人、内職先は300軒以上、売上高は2億6000万円に膨らんだ。
 協力会社では最大規模になり、元請け企業から表彰された。経営が行き詰まった漁網会社の土地と工場をそのまま引き受け、東松島市に矢本工場も構えた。
 創業直後から勤めるパートの門間弘子さん(65)は「みんなプロ意識が高く、自分の仕事に自信を持っていた。とにかく忙しくて無我夢中だったけれど、お昼は和気あいあいと食べた記憶がある」と語る。
 阿部社長は組み立て前の工程も引き受けることを目指した。自社で一貫生産できるようになれば、さらに幅が広がるはず−。
 事業は軌道に乗ったと信じた。しかし、風向きは急激に変わる。90年代に入り、バブル景気がはじけた。


関連ページ: 宮城 経済

2020年09月15日火曜日


先頭に戻る