宮城のニュース

空駆ける石巻の町工場(6) 努力重ね信頼と受注得る

エヌエス機器ブレード加工課の作業場を視察するICC社員=2015年

 役員・従業員45人の小さな会社ながら、航空機部品の研磨を主力事業に成長させた宮城県石巻市のエヌエス機器。バブル崩壊、東日本大震災、新型コロナウイルス禍と難局が続く中、技術を文字通り磨いてきた町工場の航跡をたどる。
(報道部・高橋一樹)

 2011年夏、エヌエス機器の阿部秀敏社長(61)は研磨加工課の社員とともに、航空機関連の大手工場でプレゼンに臨んだ。
 「どんな形状でもナノレベルで研磨できます」
 取引拡大によるものづくり産業の強化を目指し、宮城県などが県内約20社で発足させた「航空機市場・技術研究会」の企画だった。
 とはいえ県の意気込みとは裏腹に、部品製造を手掛ける各社の意欲は必ずしも高くなかった。阿部社長はというと、航空機に研磨の仕事があるのかも知らなかった。ただとにかく、宮城県の担当者らの企業訪問に何度も同行した。
 「航空機部品組み立てにつながる大型取引が東日本大震災でなくなった。何とか航空機に携わりたかった」

 14年、IHIキャスティングス(ICC、東京)の相馬工場(福島県相馬市)を視察した際、エンジンのタービンブレードの工程に研磨作業があることを知った。
 これならできる−。
 わずかな受注を得て、翌年「ブレード加工課」を7人で新設。勝負に出た。
 研磨作業全てが外注されるわけではなく、発注は簡単には増えない。部品を受け取りに行ったが予定変更でゼロに、ということもざらにあった。
 そんな中、技術向上を引っ張ったのが製造技術課の高橋盛二課長(40)だ。
 本業は植木職人。エヌエス機器には冬場のアルバイトとして10年以上勤めていた。結婚を機にいったん遠ざかったが、技術力を高く評価した阿部社長からの「待っているからな」という言葉が忘れられず、技術リーダーとして復帰した。
 最初の大仕事は、チタンの研磨だった。飛び散る火花で引火する恐れがあり、高い技術が求められる素材。小さな作業場とはいえ、新事業専用の第4工場もできた。「失敗する夢を何度も見た」と高橋課長。仲間と意見を出し合い、工夫を重ね、挑戦は実る。大きな自信になった。

 素材の幅が広がったことで、会社は戦闘機やロケットの部品研磨も手掛けるようになった。さまざまな要求に応える姿勢が評価と信頼を呼び、航空機部品も受注を伸ばしていった。
 ICC相馬工場製造部製造2グループの花本静さん(47)は「主力の外注先として安心して委託している。工期のロスを省くために相馬と石巻を毎日往復してくださるなど、要望を真摯(しんし)に受け止め、解決に取り組む姿勢が素晴らしい」と太鼓判を押す。
 19年4月、国の津波・原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金を活用して第5工場を新設。世界的な航空機市場の拡大を追い風に、20年初めには売上高の4割以上を航空機関連が占めた。
 再起を懸けた「空の部品」が、主力事業へと文字通り飛躍した。


関連ページ: 宮城 経済

2020年09月23日水曜日


先頭に戻る