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空駆ける石巻の町工場(8)完 あくなき挑戦、次の世代へ

高橋盛二製造技術課長(左)と研磨の打ち合わせをする津田部長

 役員・従業員45人の小さな会社ながら、航空機部品の研磨を主力事業に成長させた宮城県石巻市のエヌエス機器。バブル崩壊、東日本大震災、新型コロナウイルス禍と難局が続く中、技術を文字通り磨いてきた町工場の航跡をたどる。
(報道部・高橋一樹)

 8月、エヌエス機器の研磨加工課リーダー、沼倉梓也(しんや)さん(27)は金属製品製造の日本積層造形(多賀城市)の担当者らとメールを続けていた。同社が3Dプリンターで製造した金属部品の研磨に関する内容だ。
 東北大が開発した人工膝関節での実績をきっかけに、エヌエス機器は3Dプリンター関連の研磨を手掛けてきた。東北大や宮城県産業技術総合センターとつくる研究会を通じて依頼された試作部品などを磨く。
 「航空機部品と違って具体的な要求はなく、材質や形状を勘案しながら工夫している」。沼倉さんが説明する。「磨いてきた自分たちの力を発揮したい」と意欲を見せる。
 製造現場への導入が広がる3Dプリンター。現状では研究開発や試作品作りが主立った用途で、量産への活用は模索の段階だが「10年後の2兆円産業」と言われる分野だ。研磨は必ず求められる工程であり、エヌエス機器はいずれ事業化に結び付けようと考えている。
 サンダルの加工を皮切りに、自動車や携帯電話の部品組み立てを経て、デジタルカメラ部品から始まった研磨の道。エヌエス機器は今や、その技術で日本の最先端の産業を支える。
 20代での創業から34年、走り続けてきた阿部秀敏社長(61)だが、還暦を過ぎ、体調なども考え、65歳をめどに社長を引こうと決めた。
 後を継ぐのは取締役製造部長の津田喜弘さん(55)。2年ほど前、阿部社長の呼び掛けに自ら手を挙げた。「相手の信頼を得る営業の仕方を阿部社長に教わってきた。期待に応えたい」と意気込む。
 津田部長は元々、石巻市内で家業の作業服や靴の小売店を営んでいたが、東日本大震災で店舗が損壊。再建を諦め、職を探していたところを阿部社長に誘われた。2012年の入社時、製造業の経験はゼロだった。
 「ここで生きていくと決めた。一から修行のつもりで夢中でやってきた」。3年ほど研磨の現場に携わった後、航空機事業の責任者となった。今は会社の営業と技術向上を引っ張る。
 新型コロナウイルスの世界的拡大の影響を受けた航空機産業の行方は見通せない。取引先との面会が難しい中、緻密さを競う3Dプリンター関連の営業も思うように進まない。しばらく苦しい状況が続きそうだ。
 「これをやれば安心という事業はない。『何でも磨ける会社』をPRしたい」と阿部社長。後を担う津田部長も決意を語る。「なりわいを守りたい。『ここでずっと働きたい』と思える会社になるよう、従業員一人一人と向き合っていく」
 時代に翻弄(ほんろう)され、下請けの悲哀を味わいながらも、幾多の危機を乗り越え、事業をつないできた。
 次は何を磨くだろう。
 町工場の航路は続く。


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2020年09月25日金曜日


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