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国史跡「聖寿寺館跡」 礎石建物の北限更新か、罫書線を確認 青森・南部 

罫書線が残されていた礎石

 青森県南部町教委は9日、中世南部氏の居城だった国史跡「聖寿寺館(しょうじゅじたて)跡」で、礎石の上に建てられた建物の痕跡を確認したと発表した。室町−戦国期の城館敷地に建造された礎石建物の北限を更新し、従来考えられてきた東北中世の建築文化の姿が変わる可能性がある。
 掘っ立て柱建物が地面に穴を掘って柱を埋め込むのに対し、礎石建物は地上の礎石に柱を据える。中世の東北で、礎石が用いられた城館の建物は、伊達氏の梁川城跡(伊達市)が北限とされてきた。
 史跡中心部にあり、主殿とみられる東北最大級の掘っ立て柱建物の南側にある掘っ立て柱建物の柱穴から出土していた石(縦約60センチ、横約40センチ)の表面に7月、15.2センチ四方(5寸角)の正方形の線刻が見つかった。線刻は柱の位置を定める罫書(けがき)線とみられる。
 掘っ立て柱建物では罫書することはなく、正方形の軸も掘っ立て柱建物の柱筋と向きが違った。石の表面が剥離しており、礎石として一定期間、地上に据えられた状態で風化したと推測される。
 住居と異なる機能を持つ持仏堂などが、礎石建物として建てられていたと考えられる。礎石は、建物の解体後、新たに造られた掘っ立て柱建物の柱が沈まないよう、根石として埋められた可能性が高い。
 罫書線が刻まれた礎石の発見は東北で初めて。風化した根石は複数見つかっており、今後調査する。
 現地であった会見で、町教委社会教育課の布施和洋統括主査は「掘っ立て柱建物しかないと思われていたが、中世の建築文化を考える上で大きな発見だ」と話した。
 聖寿寺館跡では9月、主殿とは別の居館跡の可能性がある方形区画も見つかっている。


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2020年10月10日土曜日


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