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釜石市、「みんなの家」を撤去へ 被災者の交流施設に惜しむ声

解体されることになった平田みんなの家

 東日本大震災の被災地支援で、岩手県釜石市平田の仮設住宅団地に建てられた交流施設「平田みんなの家」が年内にも撤去される。仮設団地の閉鎖で役割を終え、改修や維持の費用がかさむと、寄贈を受けた市が判断した。生活再建への苦楽を刻んだ場がなくなることに元住民らからは惜別の声が上がる。
(釜石支局・中島剛)

 平田みんなの家は2012年5月に完成した。鉄骨平屋の延べ床面積42平方メートルで、建築家の山本理顕(りけん)さんが設計した。タジン鍋のような円すい型のテント屋根が特徴で、いろりやキッチンを備える。被災地に16棟整備されたみんなの家では2番目の完成だった。
 建築費950万円は寄付で賄い、市に寄贈した。隣接する平田第6仮設団地(240戸)の自治会が運営を担い、お茶飲みや飲み会、来訪者との交流、視察の受け入れに使われた。
 現在、平田地区の仮設団地は退去が完了し、施設撤去が進む。みんなの家は利用が激減し、管理上の理由もあって20年3月で使用を停止。市議会9月定例会で解体費を盛り込んだ補正予算案が可決された。
 市まちづくり課によると、恒久的な使用には改修に約1200万円かかり、維持費も必要となる。野田武則市長は「みんなの家の意義、寄贈の経緯を考えると、著名な建築家の作品でもあり残したかったが、財政面で撤去せざるを得ない。復興が進み役割を全うした」と理解を求める。
 「みんなの家は避難生活の支えだった」と感謝するのは平田第6仮設の自治会長だった森谷勲さん(78)だ。「それまであった仮設の狭い談話室とは違い、使い勝手が良かった。昼も夜も人の出入りが絶えなかった」と振り返る。
 平田地区には六つの仮設団地が立地。宮古や陸前高田など市外からの入居も多く、コミュニティーの形成が課題だった。「みんなの家があったから仲間意識が芽生え、元気になれた。立派な造りで壊すのは惜しい」と森谷さんは話す。
 設計者の山本さんは8月下旬、市からメールで撤去の方針を伝えられた。
 みんなの家の将来像について、山本さんは「災害公営住宅に移設され、誰もが気軽に集える場所として変わらずに使われることを想定していた」とメールでの取材に答えた。
 メールの文面には「仮設住宅で何年も暮らしたたくさんの被災者と共にみんなの家はあった。食べて飲んで話をする大切さ、支援の思いが詰まっている。被災地のシンボル、レガシーとして受け入れる場所を見つけてほしかった」との思いもつづられていた。

◎生活再建拠点として東北で16棟建築

 みんなの家は東日本大震災で家や仕事を失った人々が生活を再建するための拠点として、建築家の伊東豊雄、妹島(せじま)和世、山本理顕の各氏らによる「帰心の会」が中心となって建築した。
 2011年から17年にかけて岩手県に5棟、宮城県に8棟、福島県に3棟の計16棟を整備。みんなの家をサポートするNPO法人「HOME−FOR−ALL(HFA)」によると、現在残るのは平田を含め11棟で、解体された5棟のうち3棟は移築に向けて主要部材が保管されている。
 被災からの年月の経過とともに、資金面など運営体制は徐々に厳しくなっており、HFAの松村拓也事務局長は「復興の進展で位置付けが変化するのはやむを得ない」と受け止める。
 復興まちづくりに対応した活用を各地で模索しており、コミュニティーの移動に合わせて移築した「新浜みんなの家」(仙台市)、地域の活動拠点として定着を目指す「相馬こどものみんなの家」(福島県相馬市)などの例があるという。
 みんなの家は、熊本地震では各仮設住宅団地に84棟が整備された。熊本県は仮設団地が閉鎖した後も、新たな地域づくりの拠点となるよう移築などを進めていく方針で、集会所や公民館に利活用されている。


2020年10月12日月曜日


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