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台風19号で土砂崩れ 宮城・丸森の行方不明者親族、独自に捜索続ける

行方不明の小野さんを探す天野さん(中央右)=11日午前9時30分ごろ、丸森町子安
現場に設けられた鎮魂碑に花を手向ける大槻恵太さん(左)=11日午前8時25分ごろ
小野正子さん

 台風19号豪雨から12日で1年がたった。宮城県丸森町の山あいにあり、土砂崩れで3人が死亡した子安地区周辺では、行方不明となっている小野正子さん=不明当時(63)=の親族が1年間、独自に捜索を続けた。土砂が流れた範囲は広大。岩石や流木が散らばる現場に手作業で挑んだ。「大切な家族。見つけ出したい」との思いを貫く。

 小野さんの姉天野民子さん(69)=丸森町=は「妹や亡くなった3人(母、姉、義弟)のことばかりを考え、過ごしてきた」と1年を振り返る。可能な限り毎週日曜日に親族で集まり、土石流の痕が残る沢沿いに踏み入った。「『どこにいるの、教えて』と心の中で呼び続けた。せめて骨のひとかけらでも、と願って」
 11日には雨が降りしきる中、町消防団や仙南広域消防本部、角田署などが地元住民と計約100人で合同捜索を行い、親族5人も参加した。仙台高専や復興支援団体のグループが金属探知機と地中レーダーを用いて協力。金属反応があった場で掘られた土を天野さんが手でかき分け、手掛かりがないか目を凝らした。
 天野さんの亡くなった姉大槻利子さん=当時(70)=の長男恵太さん(37)=名取市=も叔母を捜すため、スコップを1年間振るい続けた。「見つけたいが、草が茂り、厳しくなってきたかな」と率直な思いを明かすが、「それでも『今日は見つける』と思って捜索に来る。気持ちはこれからも同じ」と力を込める。
 小野さんは、恵太さんが通った丸森小羽出庭分校の用務員を務めていた。「学校に行くといるので、おふくろに近い。おふくろより怖かったかも」。生活を共にする家族と変わらない存在だった。
 12日にあった町の追悼式で、恵太さんは遺族代表であいさつした。「家族を救えず、とても苦しい1年だったが、沈んでばかりでは犠牲者も悲しむ。災害を語り継ぎ、少しでも前を向くことが残された私たちの責務」。自らを鼓舞するように述べた。
 基礎だけが残る家屋跡地には、鎮魂碑が据えられている。親族で完成させ、先週運び入れた。天野さんは「何かあれば、みんなで実家によく集っていた。今も寄り添える場が欲しかった」と語る。
 碑には母親の大槻竹子さん=当時(92)=が趣味で作った句「咲き盛る 百花も散って地に帰る」を記し、亡くなった3人の名を刻んだ。家屋跡地の周辺で治山対策工事が行われることもあり、碑は移動できるように土台は固めていない。故郷の山が落ち着いたら、鎮魂の祈りをしっかりと地に根付かせるつもりだ。
 「それまでに見つけたい」と天野さん。碑に希望を託す。

[子安地区の被害]昨年10月12日、小野正子さんは夫の新一さん=当時(67)=と共に、母の大槻竹子さんと姉大槻利子さんが暮らす子安地区の実家で土砂崩れに巻き込まれた。近くに自宅があり、実家に来ていたとみられる。同14〜18日、小野さん以外の3人は遺体で発見された。


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2020年10月13日火曜日


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