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<あなたに伝えたい>背中押す亡き妻の言葉支えに

取引先との打ち合わせに参加する達行さん(中央)
阿部沙耶さん

阿部達行さん(宮城県石巻市)から沙耶さんへ

 宮城県石巻市の会社員阿部達行さん(40)は、東日本大震災で妻の沙耶さん=当時(29)=を亡くした。遺体は発生3日後、宮城県女川町の達行さんの実家から約200メートル離れたがれきの中で見つかった。実家の室内にいて津波にのまれたとみられる。

 あの日、2人で暮らしていた仙台市内で、勤務先近くの飲食店に入って遅めの昼食を取っていた。沙耶さんは達行さんの両親が住む実家を訪れていた。2人は1月に入籍したばかり。少し早いお彼岸の墓参りのため、週末は女川で一緒に過ごす予定だった。
 「明日9時ごろにはそっちに行くよ」。沙耶さんにメールをした後、大きな揺れに襲われた。店内の電気が消え、食器が散乱する。「女川は大丈夫か」。何度も電話をかけたが、つながらない。
 「たっちゃん無事?」
 「俺は大丈夫。近所の人と一緒にいて」
 町に津波の第1波が来る直前のメールが最後のやりとりになった。
 石巻市の職場にいた達行さんの父、市内のスーパーへ買い物に出ていた母は無事だった。女川に入ったのは3月13日夕。翌日、沙耶さんが遺体で見つかり、対面した。
 「ごめんね」と繰り返す両親の横でぼうぜんと立ち尽くしていた。「夢に決まっている」。冷たくなった手を握って目を閉じたまま、その場を動けなかった。「目を開けたら全て現実になってしまう気がした」
 沙耶さんは弘前市出身。東京の大学のサークルで出会い、交際を始めた。卒業後、沙耶さんは東京、達行さんは仙台で就職し、遠距離恋愛を続けた。
 自己主張が苦手で出無精な自分を、活発で社交的な沙耶さんがいつもリードしてくれた。「仕事や人付き合いで悩んだ時、背中を押してくれた」。交際10年を迎えた日にプロポーズ。5月には女川の実家に2人で移り住む予定だった。幸せな新婚生活を、津波が一瞬で奪った。
 実家が流され、石巻市で両親と暮らし始めた。仕事を辞め、ふさぎ込む日々。「沙耶は最後のメールを開いただろうか」「あの時高台へ行けと伝えていたら救えたかもしれない」。内陸育ちの彼女に避難を促せず、自責の念に駆られた。
 震災から5年後の2016年。人と距離を置く癖がついたのを見かねて、友人が仕事を紹介してくれた。働く気持ちになれたのは「まずはやってみなよと沙耶が言うと思ったから」。また背中を押してくれた。
 人付き合いが苦手だったのに、続けているのは営業の仕事だ。「自信を持ってやればいいじゃん」「考え過ぎ。大丈夫だよ」。沙耶さんが残してくれた数々の言葉に、今も支えられている。
(石巻総局・大芳賀陽子)


2020年11月11日水曜日


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