宮城のニュース

「復興再考」第5部 村井県政(5完) まちづくり/「机上論」 市町と温度差

県が誤って22センチ高く造った気仙沼市魚町の防潮堤。振興策を巡る協議がようやく動きだした

 「気仙沼の顔」と呼ばれる市中心地・内湾地区(南町、魚町)の人々が村井嘉浩宮城県知事(60)と交わした復興の約束が、ようやく動きだした。
 県と市、地区の事業者ら約20人が9月中旬、市の交流施設で膝を突き合わせた。議題は地区内で県が実施する振興策。県が誤って22センチ高く造った魚町の防潮堤を巡り、工事続行を容認する条件として住民と共に活性化策を考えるよう県に求めていた。
 国の方針を踏まえ、県は2011年9月、数十年から百数十年に1度の津波を想定し、防潮堤の高さを定めた。「人命最優先」を旗印に、防潮堤の建設を推進する県の方針は度々、被災地の批判を招いた。
 魚町で当初示された防潮堤は海抜6.2メートル。震災前はなかった巨大な壁に、住民は「景観を損ねる」と猛反発。住民が歩み寄りの姿勢を示す中、18年3月にミスが発覚した。
 「(高くなり)安全が高まった防潮堤への税金支出を県民は理解しない」。再工事の要求を突っぱねた村井知事だが、18年の県議会11月定例会で地元振興策で寄り添う姿勢を強調した。
 ただ、初会合は1年以上たった今年1月。本格的な議論が始まるまでさらに8カ月を要した。
 9月の会合で住民側は街灯や防犯カメラの設置を求めたが、県は即答を避けた。内湾地区復興まちづくり協議会の菅原昭彦会長(58)は「信頼回復のため、同じ目線で継続して関わってほしい」と訴える。

 まちづくりの主体を担う市町村と国に挟まれ、県は「中二階」に例えられる。地元への思い入れの差が時に溝を生む。
 震災直後。県は沿岸12市町の復興計画の「たたき台」をわずか2週間でまとめ上げた。目の前の対応で精いっぱいの被災市町では困難と踏み、高台移転や多重防御など後に「宮城モデル」と呼ばれる構想を盛り込んだ。
 1カ月後。県庁内で「おせっかいプラン」と呼ばれていた「まちの未来図」を携えた県職員が各市町を訪ねた。「悪いけど、これは見ない」。東松島市の阿部秀保前市長(65)がやんわりと断った。
 05年の就任以来、公民館を自治の拠点に据えるなど住民主導のまちづくりを展開してきた。トップダウンの復興ではなく、住民合意の重視を心に誓っていた。
 「まちづくりは机上論ではない。地域のことは地域が考えるべきだ」。阿部前市長の信念は今も揺るがない。
 たたき台を改良した県の計画案は、最終的に岩沼市や亘理、山元両町の復興計画に反映された。一方、先頭に立って旗を振る県に違和感を覚える被災市町は少なくなかった。

 県復興まちづくり推進室が18年3月、当時の職員たちに「たたき台」への評価を尋ねたアンケートを公表した。
 「非常に大きな効果があった」(5)「十分な効果があった」(4)「やや効果があった」(3)の評価軸に対し、県職員の平均は「4.5」。一方、まちづくりの当事者である市町職員の平均は「3.5」で、1ポイントの開きがあった。
 さまざまな軋轢(あつれき)の中でリーダーシップを発揮し、平時であれば困難な巨大プロジェクトを推し進めてきた村井知事。創造か、便乗か−。評価が定まるのはまだ先になる。

 第5部は大橋大介、鈴木俊平、相沢みづき、布施谷吉一が担当しました。


2020年11月16日月曜日


先頭に戻る