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村井知事就任15年 大胆な言動、県政界に新風と波紋

村井嘉浩宮城県知事

 村井嘉浩宮城県知事(60)は20日、就任から15年を迎えた。全国に先駆けた施策展開や大胆な言動は県政界に新風を吹き込み、時に波紋を広げた。陣頭指揮を執った東日本大震災の復旧復興で存在感を高めた一方、強硬な姿勢に批判もつきまとう。県政の歩みを象徴的な言葉で振り返った。
 「企業の取り組みを積極的に支援し、富県宮城の実現に不退転の決意で臨む」(2007年6月、県議会定例会)
 1期目就任後、当時8兆円台の県内総生産10兆円達成を目標に掲げた。周囲の懐疑的な見方をよそにトップセールスを地道に続け、後に県内経済のけん引役となるセントラル自動車(現トヨタ自動車東日本)など自動車関連企業の誘致を次々と実現した。
 「タブーや批判を恐れず宮城からのろしを上げ、国を動かす先駆けになる」(11年1月、県の有識者懇談会)
 新味を好む姿勢は、時に物議を醸すことも。性犯罪などの加害者に衛星利用測位システム(GPS)端末の携帯を義務付ける国内初の条例を制定する考えを表明。「再犯の抑止力になる」と強調したが、震災で立ち消えとなった。
 「復興庁でなく、『査定庁』だ。交付金なんかやめればいい」(12年3月、報道陣の取材に)
 国の復興交付金の第1次配分額が要求の6割弱にとどまり、怒りを一言に凝縮させた。復興の遅れを憂う県民の心を捉え、政府との交渉をリード。第2次配分で要求のほぼ倍額を引き出すと、「真骨庁」と持ち上げてみせた。
 「原爆ドームの保存にも20年かかり、今は人類の宝になっている」(15年1月、南三陸町)
 保存か解体か、町民の意見が真っ二つに割れた町防災対策庁舎を巡り、佐藤仁町長に20年間の県有化を打診。「時間稼ぎ」との声も一部にあったが、震災の記憶を伝える遺構の解体が相次ぎ、仲裁に乗り出した。
 「エネルギー政策は国の責任」(東北電力女川原発2号機の再稼働を巡る一連の議論で)
 震災直後の11年4月、政府の復興構想会議では「安定的な電力供給という視点を忘れてほしくない。この会議で原発はバツだという結論をすぐ出すのはやめてほしい」と発言。2号機再稼働の議論が本格化すると、自らの考えを一貫して明かさなかった。重大事故の避難計画の実効性に疑問符が付く中、手続きを加速。「地元同意」を完了させた。
 「常に素直な心で衆知を集める。(松下)幸之助さんに教わった」(今月16日、定例記者会見)
 県美術館(仙台市青葉区)の移転新築構想は、集客効果と財政面を重視する方針から、現地存続に急転換した。現施設の文化的価値を訴える声を受けて翻意したと説明。松下政経塾で学んだ師の教えを引き合いに、「ボトムアップ」を演出した。


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2020年11月20日金曜日


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