4月19日。
この記事は2019年04月19日配信。
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 福島県大熊町大川原は「調練原(ちょうれんばら)」と呼ばれた。町の郷土史家鎌田清衛さんの著作『残しておきたい大熊のはなし』(歴史春秋社)によると、江戸時代、馬の調教訓練の野原があったことにちなむ。相馬藩の南の国境を守る要衝だった
 多くの領民が餓死した天明の飢饉(ききん)の際、作物栽培のため開墾。昭和以降は豊かな田園風景が広がった。東京電力福島第1原発事故で姿は一変し、除染土を詰めた黒い袋が山積みされた
 大川原は他地区より放射線量が低く、全町避難した町の再生の中心的役割を担った。この地で新しい町をつくる計画が進む。先日、大川原、中屋敷の両地区で避難指示が解除された
 原発立地自治体では初の解除で、対象住民は全町民のごく一部。「移転先に生活基盤ができた」「自宅が中間貯蔵施設の建設地になった」。そんな理由で多くの町民は帰還を諦めた。しかし、どんなに姿を変えても、町民にとって唯一のかけがえのない古里であることに変わりはない
 大川原の坂下ダムにある500本の桜は今年も華やかに咲いた。原発事故後、樹勢を回復させたのは、町職員OBら6人による「じじい部隊」。町民に美しい故郷を思い出してもらおうと一本一本手入れをした。平成最後の桜。町民はそれぞれどんな思いで眺めたのだろう。(2019.4.19) 
 
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