第17回新聞記事コンクール入賞作発表

 東北の小中高校生を対象に、身の回りの出来事や世の中の動きを題材にした記事、論説、コラムを募る第17回新聞記事コンクール(河北新報社主催、東北6県教育委員会、仙台市教育委員会後援)の入賞作品が決まった。

 今回は昨年の3倍を超す1131点の応募があり、大半が東日本大震災、東京電力福島第1原発事故をテーマにした作品だったほかにエコロジー、障害者理解、多文化共生、臓器移植などのテーマも目立った。

 審査は論旨に一貫性があるか、しっかりした視点を持っているか、題材にニュース性があるか、体験や取材に基づいているか―を基準に行った。

 最高賞の河北新報社賞と主な入賞作品を紹介する。

河北新報社賞 「ぼくのすんでた浪江町」  
宮城県美里町小牛田小6年 小野田裕貴
論説委員長賞 「東日本大震災から5ヵ月」  
登米市横山小6年 阿部太一
「水と生きる」  
宮城県美里町小牛田中3年 望月公之
「聴覚障害者と健聴者」  
宮城県仙台南高1年 志田梨々子
編集局長賞 「沖縄のゴーヤ、東北でも大活躍」  
仙台市原町小5年 三浦愛実
「ずっと考えていきたいこと」  
気仙沼市条南中1年 佐藤海斗
「偉大なる『塩』」  
宮城県古川黎明高1年 佐々木恵
優秀賞/佳作
講 評

河北新報社賞

「ぼくのすんでた浪江町」 宮城県美里町小牛田小6年・小野田裕貴

 みなさん、浪江町を知っていますか。ぼくが住んでいた浪江町は、福島県の浜通りのまん中ぐらいにあります。海から山まである自然にめぐまれたとてもいい町です。

 3月11日の大震災によって原発事故が起き、ぼくたちは浪江町に帰れなくなりました。4月初め、お母さんの実家がある宮城県美里町にひっこしてきました。「美里町もいい所だけど浪江町も負けないぐらいいい町なのでみんなにしょうかいしたいな」と思い、自由研究のテーマにしました。

 まず、浪江といえば伝統ある「大堀相馬焼」が有名です。350年の歴史をもつせともので「青ひび」「走り駒(ごま)」「二重焼き」が特徴です。まず1回目に焼いて青ひびを作った上に走り駒を描きます。青ひびがわれないようにもう一度焼きます。これが二重焼きです。

 最近になって有名になってきたのは「浪江焼きそば」です。浪江焼きそばは、ごく太めんが特徴で、具はモヤシとぶたバラ肉のシンプルなB級グルメです。ぼくは、もちもちしているめんの食感がすきなので、おすすめです。テレビで有名な「DASH(ダッシュ)村」や「請戸川のさけまつり」や「野馬追」など、浪江町には、自まんしたいものがたくさんあります。

 美里町にきて、浪江町とはなれてみてはじめて分かったことがあります。浪江町では一年を通してたくさんの伝統行事があったこと、それをしっかり守っていこうとがんばっている人たちがたくさんいたことをあらためて知りました。

 あと何年たったら浪江町に帰れるのか今は分かりませんが、またあの自然にめぐまれた美しい浪江町にきっと帰れることをぼくは信じています。帰ったら、まず十日市に行って浪江焼きそばを食べたいです。

「自然に恵まれた浪江町の伝統行事を引き継いでいきたい」と語る小野田君

◎また仲間と野球を

 受賞を知った時はびっくりしましたが家族がとても喜んでくれました。

 原発事故で福島県浪江町から母の実家のある宮城県美里町に移り住みました。美里での生活には慣れましたが、浪江に戻れることを信じて文章を書きました。
 「大堀相馬焼」の職人だった祖父に話を聞き、B級グルメの「浪江焼きそば」やテレビ番組の「DASH村」についても調べました。

 家族で父だけが浪江町に残り、福島第1原発で働いています。父は地元の少年野球チーム「大堀ペガサス」の監督を務めていました。
いまはチームメートが北海道や大阪など全国に散らばっています。いつか浪江でみんなと野球がしたいです。

先頭に戻る

論説委員長賞

「東日本大震災から5ヵ月」  登米市横山小6年・阿部太一

 ぼくの祖父の家は、石巻市の大川小学校のすぐそばでした。家はすべて流され、おばも亡くなりました。父や母と何回か行きましたが、以前遊びに行った時とはまったくちがう風景が広がっていたことに、ただただおどろき、言葉も出ませんでした。

 8月12日の河北新報で、東日本大震災から5カ月となった8月11日、被災地では、ぎせい者の初盆を前に追とう行事が行われた、という記事を読みました。

 全校児童の7割に当たる74人が死亡、行方不明になっている大川小学校では、今も行方の分からないわが子の帰りを待ち続けている家族がいるそうです。

 ぎせい者となった4年生と6年生の兄妹は、あの日、他の児童と一緒に学校の校庭から北上川の橋のたもとにゆう導される途中、津波に巻きこまれました。6年生の兄は発見されましたが、妹はいまだ行方不明。

 ぼくも同じ6年生で妹も4年生なので、人ごととは思えませんでした。ぼくはあの日、雪の降る寒い中、校庭にひ難していたら父がむかえに来たので、妹と2人、無事に帰ることができました。でも、同じ年齢のこの兄妹は、どんな思いで津波にのまれ、どんな思いで亡くなっていったのかと思うと、とても胸が苦しくなりました。

 津波で何もかも流されてしまった現実。以前のような暮らしにもどるのに、約20年はかかるかもしれないです。そのころ、ぼくたちはもう大人になっています。津波の被害にあった地域や人々が、元の暮らしにもどれるよう、ぼくは力をつくします。ぎせい者の家族の人たちが言っていた「生かされた命を大切に、せいいっぱい生きていく」の言葉が、ぼくの頭からはなれません。自分のできることからがんばっていきます。

先頭に戻る

論説委員長賞

「水と生きる」  宮城県美里町小牛田中3年・望月公之

 生きるために必要な水だが、時には生活を脅かす存在となる。この脅威をどのようにして食い止められるのだろうか。

 その方法の一つとして越流堤がある。

 越流堤とは文字通り、水が堤を越え、あふれ出るように一部が低く設計された堤防である。

 あふれた水は隣接した遊水池に流れ出、川の水位が下がるまで貯留された後、本流に排水される。遊水池は常時は田畑などとして利用されている。作物は当然被害を受けるわけだが、当初の目的である下流の氾濫を防ぎ、人命を守ることができる。

 ところで、この越流堤の考案者をご存じだろうか。

 武将、加藤清正である。彼もやはり大雨による被害に悩まされたが、自身が発案した越流堤により、九州熊本の土地と人命を守り、治水技術の向上に大きく貢献したのである。

 大崎市田尻の蕪栗沼にも越流堤は存在し、蕪栗沼に合流する河川、小山田川が流れ込む旧北上川の下流を守っている。

 蕪栗沼の越流堤はさほど古くは見えない。建築されたのは昭和30年ごろだという。

 大雨が降ると宮城県北部のほとんどの川の水が流れ込み、旧北上川の水位が大きく上昇する。そのため、蕪栗沼付近の遊水池にわざとあふれさせ、下流の氾濫を防いでいるのだ。蕪栗沼にある遊水池は、個人の所有地になっており、地主の同意のもと、遊水池として利用されることになっているそうだ。

 現在主流の堤防は、高さと強度を重視した人工的なコンクリートの造りになっている。しかし、その堤防も決壊、洪水の被害を完全に防ぐことはできない。

 世界の川と比べると、日本の川は距離が短く、しかも急流。そのため、わが国の人々は昔から水との闘いを何度も繰り広げてきた。

 越流堤は、自然と共生する治水を現代に教えてくれているように思う。

先頭に戻る

論説委員長賞

「聴覚障害者と健聴者」 宮城県仙台南高1年・志田梨々子

 日本には聴覚障害者が約36万人、高齢者などで話すのにやや不便を感じるという人も含むと約600万人いるといわれている。それとは逆に、耳に難がない人を健聴者と呼ぶ。

 私は健聴者であり、これまでは聴覚障害を持っている人がいるということはもちろん知っていたが、その知識は表面的なものでしかなかった。しかし、たまたま「レインツリーの国」という本を読んだことにより、聴覚障害のことを調べるようになった。

 聴覚障害者の方がやっているサイトを見ると、聴覚障害があるゆえの留意点が書いてあった。まずは、電話。電話が使えるかは、聴覚障害の具合や程度によって違う。例えば、低音(主に男性の声)が聞き取りにくく、高音(主に女性の声)は比較的聞こえやすいという人もいるのだ。

 次に、自動車や自転車の警笛。「聞こえないので、そのまま歩いていると、後ろで自転車に乗っている人がいら立っている」とつづられていた。

 私は、聴覚障害のことを少しずつ調べていく中で普段全く気にも留めなかった手話ニュースを見た。聴覚障害者でも手話が分からない人もいるが、少しでも聴覚障害を知る上で役立つと思った。字幕が手話の邪魔をしないよう、手話をする人の横に縦書きで表示されていたり、字幕にはふりがながついていたり、イメージ映像が少なかったりと、視覚で情報を受けとれる工夫がなされていた。

 イマヌエル・カントが「耳が聞こえないことは人と人を切り離す」と言うように、聴覚障害者は健聴者との会話についていくことが難しい。

 私は聴覚障害について調べたが、健聴者なので聴覚障害者の人の気持ちは分からない。しかし、聴覚障害について知ることに意義があると思う。それは他の障害でも同じである。

先頭に戻る

編集局長賞

「沖縄のゴーヤ、東北でも大活躍」 仙台市原町小5年・三浦愛実

 この夏は東日本大震災により、大変な電力不足におちいっている。そこでなるべくエアコンなどの電力を使わずに、涼を求めることができる植物を使ったグリーンカーテンが注目を集めている。

 宮城県北の祖父の家では、この夏の節電対さくの一つとして、ゴーヤのグリーンカーテンを作った。

 夏の直しゃ日光をさえぎるように支柱を組んで苗を植える。つるは支柱をつたって上に伸び四方八方に広がる。葉は人の手の大きさと同じくらいで、1苗から何十枚もの数をしげらせる。たくさんの葉とつるとくきとがからみ合い、まるで1枚の大きなかべのようなグリーンカーテンが作りだされる。

 グリーンカーテンの効果はどれくらいなのだろう。実際にグリーンカーテン内の温度と外の温度を測り比べてみた。気温が33度の時、グリーンカーテンの内外同時に10分間計測。日の当たる地表では約50度、日かげの地表では約30度だった。その温度差は、なんと約20度もあった。次の日もう一度同じ条件で計測したところ、やはり変わらなかった。

 ゴーヤのグリーンカーテンが人気な理由は実がなるところだ。アサガオは花がきれいなので見て楽しむことができる。ゴーヤの実にはビタミンA、Eが多くふくまれており、苦いながらも、食欲増進効果もあり、暑い夏こそ積極的に食べるとよい野菜らしい。

 この実はしゅうかくしないでおくと色が緑から黄色に変わり、実がはじけて中にある真っ赤な種がこぼれ落ちる。その種は干して、来年のために保ぞんしておくとのこと。

 このようなことから、グリーンカーテンは節電以外にも役に立つことがあるので、ぜひ少しでも多くの人に広めたい。個人的には甘い実がなるブドウでちょう戦してみたい。

先頭に戻る

編集局長賞

「ずっと考えていきたいこと」 気仙沼市条南中1年・佐藤海斗

 3月11日、僕たち日本国民は地獄を味わった。大地震、大津波、そして原発の事故。最悪の状況だった。

 昨年、僕は気仙沼市が非核平和宣言都市であることを書いた。今年は、その後の僕の活動について書きたかった。だが、僕は3月11日の出来事により気づいてしまった。

 「日本だって、原発という『核』を持っているじゃないか」

 それは、僕の心に大きな衝撃を与えた。そして、いろいろな人がどう思っているのかを知りたくなった。

 今年の夏、僕は支援事業でハワイに行くことができた。そして多くの人に、原発についてどう思っているのかを聞くことができた。

 まず、僕と同じ世代のハワイの学校の生徒会長。「日本が戦争に負けて、無理やりつくらされたのだと思うけれど、適当だったとは思う。だから、もっとしっかりしろよ」

 共同通信の記者の方は「原発を使って、これからも過ごしていかなければならない。重要なのは、被災者の方と原発とのバランスなのではないか」。

 ジェイク・シマブクロさんは「僕の母親が福島出身なので心配だ。そして僕ができる支援をしなければいけない」。そして最後に日本語で言ってくれた。「フクシマ、ガンバッテ」

 これがみんなの思いだ。外国の人も僕たち日本人も考えは一緒だ。核によって危険にさらされる恐ろしさを人類が二度と味わってはならないという考えだ。

 僕の家は津波で全壊した。自然災害だ。福島には人災で家に住むことができなくなった人がたくさんいる。自然を恨むことはできないが、人災は違うと僕は思う。

 今の日本では、原発を保有することは避けられない。だからいかに安全に使うかが大切なのだ。そのために僕たちはいったい何ができるのだろう。ずっと考えていきたいと僕は思う。

先頭に戻る

編集局長賞

「偉大なる『塩』」 宮城県古川黎明高1年・佐々木恵

 今年の夏はとにかく暑い。何もせず、じっとしているだけで着ている服はたちまち汗まみれになっていく。そんななか、注意しなければいけないのは「熱中症」である。昨年に比べて熱中症で病院に搬送される人が増えた。

 また、それに伴い企業は熱中症対策として「塩」に目を付けた。「塩あめ」「塩アイス」「塩サイダー」。私たちの身の回りには塩と名のつくものが急激に増えたように思える。

 しかし、塩を使った製品が急激に増えたわけではない。以前から、塩はたくさんの製品の中に存在していた。企業はただ塩の存在を前面に押し出しただけなのである。そのおかげで私たちの塩への意識が高まった。私も、塩というものへの関心が高まった。

 海からも岩からも取れる塩。そんな塩と、私たちのつきあいは長い。世界では、昔から料理や食事の際に多く用いられてきた。

 日本では、料理はもちろんのこと、「清めの塩」といって、お葬式から帰ってきたとき家に入る前に用いる塩や、力士が仕切りの際に土俵にまくための塩、また、「盛り塩」といって客商売で縁起を祝って入り口に塩を盛るといったさまざまな使い方をしてきた。

 そんな塩は、私たちの命を左右するものでもあると思う。なぜなら、先にも述べたが、「熱中症」のように塩の不足により体調を崩すことがあるからである。反対に、塩の取りすぎによっても、命が脅かされる。塩分の取りすぎは高血圧症、腎臓疾患などといったさまざまな病気の原因となることがあるのだ。

 このように、塩は私たちの使い方によって良くも悪くも変身するのである。

 あらためて塩を意識してみると、塩とは万能かつ無限に近い存在であると思う。

 まだまだ続くであろうこの暑さ。乗り切るためにも、塩は必要不可欠だ。しかし、ついつい塩を取りすぎてしまわぬよう、毎日の心がけが大切である。見た目よりもはるかに偉大な「塩」とこれからもつきあっていこう。

先頭に戻る

優秀賞/佳作

◆優秀賞
伊東茉莉 仙台市荒町小6年 蝦名奏夢 仙台市上杉山通小3年
遠藤匡 仙台市上杉山通小3年 遠藤ちひろ 仙台市川前小6年
川上洋輝 登米市豊里小5年 佐々木大輔 石巻市湊第二小5年
佐々木聖 宮城教育大付属小4年 佐藤詩音 仙台市袋原小6年
平沢丈 仙台市上杉山通小6年 三山紗奈 仙台市枡江小5年
大場功太郎 古川学園中3年 熊谷知哉 石巻市河南東中1年
佐々木優衣 宮城県古川黎明中2年 菅原綾音 宮城県古川黎明中3年
菅原千咲 宮城県古川黎明中3年 須藤稜太 仙台市折立中3年
関真裕子 古川学園中3年 千葉瑠利 宮城県古川黎明中3年
三浦舞音 宮城県古川黎明中3年 森谷仁美 大崎市田尻中3年
小高優子 宮城県古川黎明高1年 小野弥希 宮城県仙台南高1年
門脇菜摘 宮城県古川黎明高1年 鈴木友菜 宮城県古川黎明高1年
滝野沢史佳 宮城県古川黎明高1年 千葉鈴花 宮城県仙台南高1年
土田弘夏 山形県霞城学園高Ⅱ部4年 中山つかさ 宮城県泉高1年
長谷川ななみ 宮城県古川黎明高1年 山井雅美 福島県只見高3年
◆佳作
飯島瑞希 仙台市八乙女小4年 佐藤碧美 石巻市河南東中2年
阿部航大 宮城県古川黎明高1年
先頭に戻る

講評

若い感性、ペンに託そう/審査委員長 鈴木素雄(河北新報社論説委員長)

 人はどんなときに、文章をしたためたくなるのでしょう。うれしいこと、悲しいこと、つらいこと、腹立たしいこと…。誰かに読んでもらいたくて、心の内をペンに託す。文字はあなたと他者をつなぐ使者です。

 第17回新聞記事コンクールの応募作品は、過去最高の1131点を数えました。東日本大震災の衝撃が大きかったことの表れでしょう。若い人たちが震災を経験して社会に関心を持ち、自分の考えや思いを吐露してくれたことに敬意を表します。書くという行為を通して思考が整理され、視野も広がったはずです。

 河北新報社賞に選ばれた『ぼくのすんでた浪江町』は、困難な避難生活を送る中で書かれました。「みなさん、浪江町を知っていますか」という呼び掛け調の出だしが、グッと引きつけます。

 「大堀相馬焼」や「浪江焼きそば」の描写は、筆者のふるさとへの愛着を表して余りあります。ともすれば悲観的になりがちな状況下で、先人たちに感謝しつつ帰還の決意を新たにする。戻るべき場所はどこか―。私たちが目指す復興の方向性も示唆しています。

 良い文章は共感力と想像力に裏打ちされています。

 『東日本大震災から五カ月』は、犠牲になったきょうだいに思いを寄せます。被災者の悲しみをわが事として引き受けようとする優しい心根が伝わってきます。核をテーマにした『ずっと考えていきたいこと』は、やはり「僕たちに何ができるだろう」と自問自答します。独断に陥らず、さまざまな人の意見に耳を傾けていることが内容に奥行きを与えています。

 地元の治水に伝統的な土木技術が利用されていることを紹介した『水と生きる』は、「人と技術」の望ましい関係の在り方を考えさせられます。

 記事に説得力を持たせるには綿密な調査が欠かせません。俗に「足で稼ぐ」と言いますが、『沖縄のゴーヤ、東北でも大活躍』はゴーヤの温度上昇抑制効果を綿密に調べた点が評価されました。

 『偉大なる塩』と『聴覚障害者と健聴者』は、文献や交流サイトに当たってよく調べていますが、筆者の思いや主張をもう少し出してほしかった。自らの体験談などを挿入すれば、内容により深みが出たことでしょう。

 「手で書くと、心に明かりが灯(とも)ってくる」。絵手紙作家小池邦夫さんの言葉です。巧拙は、重要な問題ではありません。若い感性を「ケータイ」ではなく、原稿用紙にたたきつけてみませんか。

先頭に戻る