河北新報特集紙面2025

2026年3月12日 河北新報掲載 
発災から15年、今こそ伝え継ぐ誓いをともに

発災から15年、今こそ伝え継ぐ誓いをともに

発災から15年、
今こそ伝え継ぐ誓いをともに

震災伝承連携組織の公益社団法人3.11メモリアルネットワークと
共同で企画する視察ツアーの2回目は、東松島市を訪ねました。
多くの犠牲が出た野蒜地区と大曲地区、
集団移転地のあおい地区を巡り、
被災の実情と復興の歩みを振り返ったほか、
東松島市との境にある石巻市西浜地区に立ち寄り、
津波避難タワーを見学しました。
語り部活動を引き継ぐ大学生の姿にも触れ、
発災から15年が経過した今こそ、
あらためて震災に向き合う意義があることを確かめ合い、
「一人ひとりが伝え継ぐ役割を担おう」と誓い合いました。

ミュージカル鑑賞して知った
被災者の思いと再生の歩み

 視察に同行した3.11メモリアルネットワーク代表理事の武田真一さんは冒頭、「犠牲者1100人以上の深刻な被災地である東松島市は、被災と復興を振り返る場としてとても重要な地域です」と強調しました。分別を徹底したがれき処理は「東松島方式」として知られ、国内外で注目されていることを説明。行程の途中では、二つの訴訟が起きた野蒜小学校の出来事なども現地で紹介し、「1日では回り切れない。今後も被災地視察の際は東松島にぜひ立ち寄ってほしい」とスタッフ含め参加者33人に呼びかけました。

 野蒜地区では、震災遺構の旧JR野蒜駅ホームを見学後、高台移転地の野蒜ケ丘にある市民センターで地元住民によるミュージカル劇団「100通りのありがとう」の活動を共有しました。被災住民100人以上が出演した2019年の旧野蒜駅ホーム、2023年の石巻市河北町の両公演を圧縮編集した動画で鑑賞。仲間の追悼とともに支援への感謝を伝え、古里で生き続ける覚悟を歌い上げるミュージカルの内容に、目頭を押さえる姿も見られ、大きな拍手が送られました。

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「100通りのありがとう」(2019年3月、旧野蒜駅)の一場面

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ミュージカルに込めた思いを語る菅原節郎さん

 上映後の語り合いで、劇団団長を務める菅原節郎さんは「稽古を重ねる中で被災者が互いの体験を共有し、心を通わせていった」と語り、妻と長男を亡くした自分自身も活動が再起、再生の支えになったと振り返りました。「もう震災はいいんじゃないと言われたこともある。けれども、まだ15年、あれだけの経験を忘れるわけにはいかない」と同席した団員の住民。劇団は今も月1度の稽古に集まっています。菅原さんは「自分たちの言葉で震災を語り継いでいくことに意味がある」と伝承としてのミュージカルの意義にも力を込めました。参加者からは「知識や情報ではなく、思いを受け継ぐことができた。多くの人に鑑賞してほしい」との感想が聞かれました。

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ミュージカル収録動画に見入る参加者

集団移転のコミュニティづくり
出来事を記録し引き継ぐ覚悟

 午後から訪れた旧矢本町のあおい西集会所では、自治会の統括組織「あおい地区会」会長の小野竹一さんから、住民主体で進めてきた復興まちづくりの歩みについて説明を受けました。あおい地区は市内最大規模の防災集団移転地として整備され、580世帯、約1800人が暮らしています。小野さんは、住民と行政が協働しながら井戸端会議と名付けたワークショップを重ね、区画決定や街並みルール、まちの名称まで話し合いで決定した経緯を説明し、「自分たちの団地は自分たちでつくる」「日本一の町を目指している」と力強く語りました。高齢者見守り活動や子ども主体のイベントなど世代を超えたコミュニティづくりを進めており、復興の先にある持続可能なまちづくりを見据えた取り組みに、参加者は関心を寄せていました。

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あおい地区のまちづくりを振り返る小野竹一さん

 小野さんは「大曲地区震災伝承の会」をつくり、野蒜とともに犠牲者が多かった大曲地区の被災の記録と伝承にも取り組んでいます。あおい西集会所から移動し、大曲地区と大曲浜地区を語り部として案内してもらいました。聴き取り調査を進める中で、被災当日の忘れられない出来事を初めて打ち明ける被災者もいるそうで、その現場も紹介し「15年たっても埋もれた記憶と記録はまだまだ多くある」と活動継続の必要性を説きました。

 案内には、小野さんと一緒に活動する東北大学2年生の後藤優太さんが同行しました。北海道出身の後藤さんは震災の被災経験はありませんが、高校生のころに東松島市を訪問したことがきっかけで小野さんと知り合い、伝承に関わるようになりました。小野さんから教わった被災のエピソードを自分なりの言葉と思いで伝える活動を続けています。今は水田が広がる大曲浜の一帯では、電柱に登って助かった人がいた一方、隣の電柱は倒れて命を落とした人もいたことなどを説明し、「災害では一瞬の判断や行動が生死を分けます」と説明。「何も残っていない場所ほど出来事が忘れられやすい。だからこそ語り継ぐことが大切です」と語りを引き継ぐ自覚を確かめながら、「防災を自分事にするためにも、皆さん自身が伝える役目を担ってほしい。体験のあるなしに関係なく、身近な人に伝え継いでください」と呼びかけました。

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語り部活動を引き継ぐ東北大生の後藤優太さん

造船工場の被災と避難の教訓
避難タワー見学し対策学ぶ

 最後に大曲浜と隣接する石巻市西浜町の造船会社「ヤマニシ」の入り口にある津波避難タワーを視察しました。震災後に市内4カ所に整備された施設の一つで2016年に完成しました。昨年7月末のカムチャツカ半島地震の津波警報時、ヤマニシ社員は一斉にタワーに避難しています。タワーがなかった震災時、ヤマニシの避難は困難を極めたそうです。当時総務課次長として勤務していた顧問の阿部晃二さんは「最初は水が染み出すように入り、数分後には2階の窓付近まで一気に来た」と振り返りました。家族を心配して車で移動した社員の中には犠牲者も出たそうです。社内に残った約300人と船上に避難した約100人は奇跡的に全員無事でした。「判断が良かったというより、運が良かっただけ」「普段から想定以上のことを考え、逃げ方をシミュレーションする必要がある」と阿部さんは教訓を伝えました。

賛同企業の声

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 野蒜でも大曲でも、遺族や被災者からじかに話を聴くことで、生死を分けた決断や行動をリアルに受け止められました。被災住民が心を一つにして震災を振り返り、支援への感謝を伝え、生き抜く決意を披露する野蒜のミュージカルには心から感動しました。被災者の思いに触れて、防災だけではなく人の生き方まで深く考える機会になりました。体験のない学生の後藤さんの語りも印象に残ります。わたし自身にも視察で知ったこと、震災を伝える役割があると自覚できた一日でした。
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 報道で震災はある程度知っているつもりでしたが、実際に現地に足を運んでみると、避難タワーの詳細など知らないことが多く、参加して本当に良かったです。あおい地区の街づくりは、地域をまとめる小野さんの姿勢が素晴らしく、地域創生への貢献を目指す企業の一員として、とても参考になりました。後藤さんから呼びかけられたように、視察で手に入れたことを周りの人に話します。知識や情報ではなく、思いを共有できた野蒜のミュージカルは、多くの人に見てほしいと思いました。