河北新報特集紙面2025

2026年1月27日 河北新報掲載 
先駆者の現在地を訪ね、千年先に希望を託す

先駆者の現在地を訪ね、千年先に希望を託す

先駆者の現在地いまを訪ね、
千年先に希望を託す

今年度の新たな試みとして、
震災伝承の広域連携組織である
公益社団法人 3.11メモリアルネットワークとタッグを組み、
全2回の被災地ツアーを企画。
その第1回を昨年12月3日に実施し、
「復興のトップランナー、震災を未来へつなぐ取り組みに触れる」
をテーマに岩沼市を訪ねました。
防災集団移転事業の成功例として知られる玉浦西地区、
語り部とともに巡る千年希望の丘 相野釜公園、
災害支援拠点としての機能を目指す仙台空港を視察。
千年後につなげるべき記憶と教訓について、
岩沼での復興へ向けたさまざまな取り組みから
理解を深めることができました。

移転先で絆を育みながら描いた
美しいまちづくりの未来

 仙台駅から出発したバスには、3.11メモリアルネットワークの代表理事・武田真一さんらスタッフ3人が同乗しました。武田さんは当時、河北新報社報道部長として混乱と葛藤の中で震災報道に携わり、後に新設された防災・教育室の室長に就任して震災伝承と防災啓発のプロジェクトに取り組んだ経歴を簡単に紹介。車内の参加者たちに「震災から長い時間が経過し、今さら被災地に行って何になるのかと思っていませんか?」と、この視察ツアーの意義について問いかけました。

 最初の訪問地が間近になった頃、玉浦西地区について説明。武田さんは、「視察では、集団移転の成功例であるこの地区の現状に触れるとともに、新しい街並みが生まれても決して取り戻すことができない命や地域の文化があったことにも思いを馳せてください」と語りかけました。

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3.11メモリアルネットワークの代表理事・武田真一さん

 市が誘致した商業施設フーズガーデン玉浦食彩館の駐車場では、岩沼市役所の森俊幸さんと小高智さん、玉浦西まちづくり住民協議会の現会長である菊地正広さん、2代目の小林喜美雄さん、3代目の森博さんが一行を出迎えてくれました。まずは、歴代会長のガイドで、美しく整備された街並みを散策。貞山運河をイメージした緑道や地域住民憩いの公園、移転前の地区に架かっていた橋の銘板を移設した記念碑などをたどりました。4つある公園の一つ、まごころ公園では、ツアーの1カ月ほど前に亡くなった京都市の造園家・第16代佐野藤右衛門さんが復興を願い、住民と一緒に植樹した祇園しだれ桜を見学。菊地会長は「住民はみんな、お花見の季節を楽しみにしているんですよ」と、目を細めながら話してくれました。

 玉浦コミュニティセンターでは、資料映像などで被災から集団移転までの歩みを紹介。震災により岩沼市では180人が亡くなり、市の面積の約半分が津波の被害を受けました。翌年、沿岸6地区の移転先として海岸から約3km内陸にある同地区での造成がスタート。住民同士のコミュニケーションを重視しながら、“緑あふれる町”を目指して地道な草取りや清掃などに励み、理想のまちづくりに取り組んできたそうです。参加者から、震災前の地区を今どう思っているかという質問に、小林さんは「たまに、自宅のあった場所に足を運ぶことがあります。玉浦西地区を第二の故郷だと言いたいのですが、これほど時が経っても心の整理はついていません」と正直な心の内を語ってくれました。

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左から、小林喜美雄さん・森博さん・菊地正広さん

命の尊さを物語る慰霊の地で
伝承を受け継ぐ意味を確認

 歴代会長たちから「また、この町に来てくださいね」と見送られ、バスは次の目的地である千年希望の丘 相野釜公園へ。震災の津波により人が住めなくなった土地を活用し、岩沼市の沿岸約10kmにわたって整備された6つの公園の1つで、ゲート付近では「いわぬま震災語り部の会」会長、渡邉良子さんらが一行の到着を待っていました。

 渡邉さんは、千年希望の丘の命名のいわれや造成されるまでの経緯を語りながら、参加者を慰霊碑まで案内。津波の水位と同じ8mの高さがある塔が、人と人が支え合う形をイメージして作られたことを説明した後、参加者の一人に鐘を鳴らしてもらい、全員で黙祷を捧げました。2013年からボランティアを募って行われた21種・約40万本の植樹にも言及。防潮堤や貞山堀の護岸、かさ上げ道路の整備に加え、緑の堤防の完成による津波からの多重防御についても教えてくれました。足が弱った高齢者を伴って避難丘に登る途中で津波にのまれた被災者のエピソードを語り、「津波がすぐそこまで迫っている時、どんなに大切な人であっても手をつないではいけません。心無い厳しい言葉に聞こえるかもしれませんが、まずは自分の命を守ることを優先し、後から来る人には大きな声で呼びかけて、避難を促してください」と、真剣な眼差しで語りかけました。

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避難丘は階段より斜面が登りやすいことを伝える
渡邉良子さん

 千年希望の丘交流センターに移動後、語り部の会の発足からこれまでの活動について渡邉さんが紹介した後、参加者からの質問に答えました。渡邉さんは「100歳まで語り部を続けようと思っていましたが、最近語り部になりたいという小・中学生のきょうだいが現れて、若い世代にバトンタッチできる可能性に希望を感じています。次に伝えていく人がいなければ、いつか忘れられてしまうでしょう。震災の悲劇を繰り返さないためにも、語り継いでいくことが大事だと思っています」と結びました。

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避難丘の上で発災時の浸水の様子を語る渡邉さん

震災の経験を糧に得られた
空の交流拠点としての使命

 最後に訪れたのは、震災伝承ネットワーク協議会より震災伝承施設として登録されている仙台空港。仙台国際空港株式会社の相澤さんと小笠原さんが、空港ターミナルビル1階に常設展示されている震災説明パネルの前で、敷地全域が冠水し、旅客、周辺住民、空港従業員ら約1700人が避難した当時の状況について語ってくれました。発災から6日後に全員が退避し、約1カ月後の4月13日には国内線の一部を再開。2012年7月に全路線が再開し、国際空港としての機能を取り戻しました。

 また、相澤さんは「仙台空港は、2016年7月に日本初の民営化となりました。これを契機に、仙台、東北の復興の未来を支える役割も果たしていきたいと思っています」と話してくれました。解説を聞いた後は、仙台空港の施設内外を見学し、参加者は帰路につきました。

 バスが帰路をたどる車中、武田さんは参加者とともにこのツアーを総括。「震災から15年を迎えようとしている今、伝承の取り組みは大事な局面を迎えています。この一日、何が心に響いたか皆さんそれぞれに違うと思いますが、些細なひっかかりが有事に命を救う可能性があるかもしれません。それを大事に生かしてほしいと願っています」と参加者にメッセージを送りました。

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震災説明パネルで詳細を語る仙台国際空港株式会社の
相澤さん(写真中央)と小笠原さん

賛同企業の声

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 けがや病気、火災や自然災害など皆さまの暮らしを守る最適な保障設計と共済を案内する業務に携わっている上で、今回訪問した3カ所すべてに感じたことがたくさんありました。被災時の状況について聞くことにより、改めて私たちが担う責務の大きさを再認させられた気がします。また、玉浦西地区では、復興に注がれる情熱やコミュニティーの強さに触れ、住民一体となってまちづくりに取り組んだ素晴らしい事例を知ることができ、このツアーに参加してよかったと思いました。
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 岩沼市の復興の過程について全く知らず、このツアーに参加しました。今回の訪問先で聞いたお話から、自治体や地域の人たちの意思疎通が綿密に図られたことにより、早期の判断やコミュニティーの醸成が進んだことが分かり感心しました。玉浦西地区の住民の皆さんが、思いを一つにして生活を立て直すことができたことは、とても奇跡的なことだと感じています。歴代会長さんたちがみな、美しいまちづくりについて繰り返し語っていたことも、とても強く印象に残っています。