【佐藤 成晃 選】
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六十年嫁(か)しての記念日 小春日をディーの車に乗り込む夫は (石巻市向陽町・後藤信子)
【評】結婚して60年目の記念日の今日、それを祝うかのような小春日和の朝。こんなにめでたいことは無いとはた目には思われる朝の作者の現実。夫はデイサービスの車に乗っていく。長寿社会の現実のきびしい一面を作者の心情を伏せて詠った佳作。ここで自分の不幸を叫んだり、夫の不健康をストレートに嘆いてしまえば、おそらく短歌という作品にはならなかった。踏みとどまることによって「芽を出した」短歌だ。作者が伏せた心情は読者が間違いなく読み取っているはず。
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サブちゃんの「北の酒場」の声模様昔の漁師にさざ波が立つ (石巻市門脇・佐々木一夫)
【評】言わずと知れた「北の酒場」。大ヒットした演歌だが、「細川たかし」ではなかったか。否、北島が細川の歌を歌った現場での感動から生まれた作品かもしれない。誰がどうだ、ということよりも、演歌を聞いての感動を「さざ波が立つ」と収めた手腕が並ではない。かつての船上でのつらい思い出が、このような作品となることに感動してしまう。農民歌人に負けない佳作を待ち続けたい。
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寝(い)ぬるままの汝(なれ)へどうぞの千羽鶴いざ蒼天を飛ぶにあらずや (石巻市恵み野・木村譲)
【評】これまでの投稿作品から推量するに、「汝」は入院加療中の奥様ではないだろうか。奥様の快癒を祈って千羽鶴が届けられたのだろう。その思いやりに感激して生まれた一首だと思う。「蒼天を飛ぶ」のは千羽鶴に違いないが、作者の思いは「汝」の魂が飛ぶことへも重なってしまったのではないか。魂が蒼天を飛ぶのは、人間からの飛翔であって、かなしい場面も思われてしまう。その思いもよらぬ連想におどろいて立ち尽くしている作者なのかもしれぬ。
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鮭を裂きオレンジの腹子を取りだして握れば伝わる命の鼓動 (石巻市水押・阿部磨)
ありふれた言葉を幾度も練りおれば胸を刺すよな短歌(うた)も生(あ)れくる (石巻市駅前北通り・津田調作)
皺(しわ)顔が杵(きね)持つ腕を振り下ろせば臼(うす)が割れると囃すにぎわい (石巻市北村・中塩勝市)
全世界何かが壊れ続けてる 知りつつ送る愚かなバトン (東松島市赤井・佐々木スヅ子)
今季またイチジクを煮る二度三度プチプチ感に満たされたくて (石巻市南中里・中山くに子)
妻の留守トイレ掃除に風呂掃除月に一度の老夫のつとめ (東松島市矢本・奥田和衛)
通院はきょうで終りと告げられて妻との会話弾みて帰る (石巻市駅前北通り・庄司邦生)
避難せよと「触れ」はあれどもマンションに籠れば安全とひとり居決めぬ (石巻市中央・千葉とみ子)
晴れ舞台踏みしドレスの出番済めばやや震へゐる両手にたたむ (石巻市開北・星ゆき)
急いでもいつもの主婦へもどるのみそれでも急ぐヘッドライトは (石巻市流留・大槻洋子)
渋滞を見下ろしながら飛んでゆく綿毛タンポポ風に混じりて (石巻市大門町・三條順子)
ぞくぞくとお宝が出たと本家より義父の遺(のこ)せしモノクロ世界 (仙台市青葉区・岩渕節子)
飛行機雲一直線に尾をひきて微動だにせず紺碧の空に (石巻市わかば・千葉広弥)
柿を取る高枝バサミの老夫婦をしばらく見つむ散歩の途中に (石巻市水押・佐藤洋子)
インパルス反転のたび陽を返し鳥のごとくに青空を行く (東松島市矢本・川崎淑子)
我が家に酒飲みがてら来し人ら津波ののちは誰も来たらず (石巻市三ツ又・浮津文好)
訪看の処置して点滴外すとき夫ピクリと構える仕草 (石巻市向陽町・中沢みつゑ)