【佐藤 成晃 選】
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九十五歳が私にみやげとさし出した消しゴム一個 何を消せとや (石巻市大門町・三條順子)
【評】九十五歳の老人が作者に「消しゴム」を買ってきてくれた。物書きの好きな作者への最もふさわしいみやげだったに違いない。「ありがとう」の言葉の後に作者の心に去来したことは、「私のこれまでの人生で、消さねばならないことがあったか」と「消す」対象をすこしねじってみたところがミソ。「メモ帳のミスを消す」ことから「人生の過去を消す」へと転換し発展させていくところが実に面白い。連ね方によっては言葉はいろいろな場面を構成してくれるものだと、改めて思い知らされた一首です。
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干し秋刀魚炙(あぶ)りて酒の友となせばコップに揺れる思い出の海 (石巻市駅前北通り・津田調作)
【評】炙った秋刀魚を肴(さかな)にして飲むコップ酒。とても質素な酒宴でありながらも、酒好きの読者ならばたまらない場面だ。コップの酒が揺れるたびに若いころの漁労のあれこれを思い出すのだろうか。ことに波が荒かった南洋北洋のあのころの海が忘れられないのだろう。コップ酒を詠んだ一首の短歌は、今の一瞬から人生を賭けた若いころの大洋へと飛躍する。57577のリズムと日本語の組み合わせのみごとな合体だ。
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「負けたんだ」と認める一語飲みこんで不協の和音貌(かお)より出(い)ずる (石巻市開北・星ゆき)
【評】「試合」「ゲーム」「けんか」など、人生には勝たねばならないことが多い。だが負けを認めなければならない時がきたときでも、「負けました」と言いたくはない意地っぱりの作者像が見える。その結果が顔に出てしまった、という内容だ。この歌は、作者個人の体験から生まれたものだが、誰にもあることでもあるはず。そこに読者が共感してくれる一首ではないだろうか。「目(顔)は口ほどにもの」を言うことをうまく掬(すく)いとった作品である。
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再会は五十五年ぶりの同期会すがた変われどこころ変わらず (石巻市駅前北通り・庄司邦生)
それぞれにあぢはひありて熟し柿黙して食らふ同郷二人 (石巻市恵み野・木村譲)
海峡にぽっかり浮かぶ黒雲や海騒(ざわ)めけば白兎飛び跳ね (石巻市門脇・佐々木一夫)
意志のある如くにクレーンは首を振り路面を砕き土砂を浚(すく)いぬ (石巻市南中里・中山くに子)
絶好の行楽日和は予定なくおでかけ姿で近所ぶらつく (東松島市赤井・佐々木スヅ子)
独り居の立つも座るもドッコイショと掛け声出せば湧き来る力 (石巻市中央・千葉とみ子)
わが家族四人ともみなAB型 驚かれたり珍しがられたり (石巻市向陽町・中沢みつゑ)
四姉妹育てし友の恵比須(えびす)顔初孫抱いてカメラの前に (石巻市水押・佐藤洋子)
じいちゃんと千代飴(ちとせあめ)とに手を引かれ無事こそめでたき七五三なり (多賀城市八幡・佐藤久嘉)
錦木の今が盛りと紅(くれない)の衣まといて朝日に輝く (石巻市蛇田・菅野勇)
船乗りの体に染みし習性の星探すこと老いて直らず (石巻市水押・阿部磨)
晩秋の黄昏(たそがれ)の丘のひとところやがて末枯(すが)れん小豆(あずき)の畑 (女川町・阿部重夫)
招かれて孫の参観うるうると嬰児(みどりご)だった孫(こ)愛(め)でる幸 (角田市角田・佐藤ひろ子)
軒下に干し柿のれん賑やかに寒風受けてときにざわめく (石巻市不動町・新沼勝夫)
霜月になると温泉恋しがる母をいくたび連れし湯めぐり (東松島市矢本・佐藤淑子)
屋根よりも高く繁れる榧(かや)の実の庭に散らばり今は厄介物(やくぶつ) (石巻市桃生・三浦多喜夫)
雨風(あめかぜ)の「嵐」は皆に嫌われてグループ「嵐」はアジアのアイドル (東松島市・奥田和衛)