短歌(3/14掲載)

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【斉藤 梢 選】

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問いもせず語りもせずにただ眺む太平洋の同じおおきさ   石巻市大門町/三條順子

【評】二〇一一年三月十一日午後二時四十六分、東日本大震災発生。あの日から十年の歳月の<心の歩み>を、この一首に見る。「問いもせず語りもせずに」の「せず」は、むしろ作者が繰り返し語って眺めてきたことを語る。声には出せない思いを、定型に収めることで、自身の本当の気持ちを知ることもある。短歌はそういう器であろう。目に見える復興と、見えない心の痛みとのバランスをとることは難しい。「ただ眺む」には、さまざまな記憶を胸に置き、現実を見つめている姿がある。あの日の津波の牙は、生活も記憶をも壊し、人命を奪った。それでも今、海は「同じおおきさ」なのだ。気持ちを整えるためには、十年では足りない。

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十年が経てど紙面の一隅に死者と不明の数の重たき   石巻市桃生町/高橋冠

【評】<東日本大震災十年>という新聞記事の多さ。作者が見つめているのは、「紙面の一隅」だ。宮城県の死者数は三月九日現在で、九五四三人。行方不明者数は一二一五人。多くを語らずとも、直接的に心情を表現しなくても「数の重たき」の結句が、作者の深い思いを伝える。命の尊さを噛みしめながらも心底には、この数字への憤りが今もある。

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如月のカレンダーめくれば目の裏に泣けとごとくにあの黒い海水(みず)   石巻市駅前北通り/津田調作

【評】記憶は簡単には薄れない。十年前の「黒い海水」がありありと甦る三月。二月のカレンダーをめくれば十一日という忌日。「泣けとごとくに」は、十年分の心痛であろう。被災はあの日から続いていることを確かに伝え、「黒い」が眼前に迫り来るようだ。

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冬空に光り輝く遠花火鎮魂祈りて両の手合わす   東松島市矢本/奥田和衛

【評】鎮魂の冬の花火。遠くに見える光に手を合わす作者。祈りそのものの「両の手」。詠むことは祈りであり、被災地で生きる作者の心情と日常を残すことでもある。この一首は<声>だ。

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夕暮れのポストに手をば差し伸べて触れる絵手紙春の水仙   石巻市丸井戸/高橋栄子

雪解けの出羽山脈の山独活に冬の苦味と雪の甘味と   多賀城市八幡/佐藤久嘉

遠き日に児童(こ)らと遊びし歌留多手に百人一首の歌を読み上ぐ   石巻市駅前北通り/庄司邦生

荒れ道を共にあゆみし杖なれば笑顔のうちに一服一服   石巻市門脇/佐々木一夫

おはようと大きな声で挨拶する友は突然白菊に埋もれて  石巻市蛇田/菅野勇

朝食に小松菜三枚ちぎりくる昔ペンだこ出来てた素手で   石巻市高木/鶴岡敏子

残生をのんのん長閑に暮らしたしコロナ禍の中籠もる一年(ひととし)   石巻市中央/千葉とみ子

謙譲も尊敬も同じだと「微妙」常用の中学生が   石巻市渡波町/小林照子

わがいのち安らう耕土雪をかぶりただま白なり春を待ちつつ   石巻市桃生町/三浦多喜夫

庭先の枯葉の下に顔をだし光求める福寿草の花   石巻市桃生町/西條和江

ウイルスも怖いが地震また怖い夜中にグラリ逃げ場うしなう   石巻市桃生町/高橋希雄

目の位置に貼りてまた読む園児からのメッセージカード今年も届く   石巻市向陽町/後藤信子