投稿より 「共に白髪の生えるまで」

 夫とは20代で結婚し共働きを続けてきた。東日本大震災で被災した義母は体調を崩し、自宅も大規模な被害を受けた。2人とも災害復興と医療支援で家に帰ることもままならず、義母を1人家に残すことが多くあった。

 義母は震災から2年後に亡くなった。

 今思えば、私が仕事を辞め、心身共に衰弱していた義母に付き添い支えるべきだった、と後悔の念が残る。口に出さずとも、義母との別れを悔やむ夫の気持ちは身に染みて感じていた。

 私の父は70代の頃、脳梗塞を患った。半身がまひし、自尊心の強かった父は、まひが改善しても「外に出れば人に笑われる」と家から出ることがなくなった。

 そんな父を案じてくれたのが夫だった。自ら私の実家を訪ね、父の手を引き、外に連れ出してくれた。「父ちゃん、外に行くよ」と内から出た優しさだった。

 震災後、父は2度目の脳梗塞を患った。母と2人での生活。体と言葉の自由が利きにくくなるにつれ、感情を抑えきれず、いら立ち、夜中、怒り出すことがよくあった。そんな時は決まって母から呼び出された。

 私だけでは対処できないと判断すると、仙台に単身赴任していた夫に連絡し、夜に駆け付けてもらった。翌日、寝ずに仕事に行くことになっても、愚痴一つこぼすことはなかった。

 父は亡くなり、その後、夫に聞いたことがある。嫁いできた私と共に義理の両親の介護をするのは重しではないか、と。笑いながら答えてくれた。

 「自分の親だと思っているし、亡くなったおふくろの分まで大切にしたい」

 幾年共に過ごしてきたが、直接聞かなければ分からないこともある。今は、残された母の介護の日々を夫と2人で送っている。

(阿部てるこ 64歳 東松島市)