投稿より 「姉の七回忌を経て」

 五つ違いの長姉の七回忌を1月に迎えた。生きていれば2月に85歳になった。私たちは石巻で生まれ育ち、五つしか違わないのに随分面倒をみてもらった。

 5人兄妹、3姉妹の中で長姉は最も気配りが働いた。体も丈夫で高校では体操部で活躍し、平均台の上で鮮やかに演技していた。

 卒業後は地元の衣料品店に勤めていた。仕事柄、妹の身支度が気になっていたようだった。私の小学校の卒業アルバムを見ると、同級生にげた履きやボタンがふぞろいの上着を着ている人がいる中、真新しい上着(当時はトッパーと呼ばれた)とビニールではあるが新しい靴を履いて写っている。6年生の修学旅行には短くなったワンピースに新しいスカートを縫ってもらい、はいている姿が写真に残っている。クリスマスの朝、目覚めると目の前にケーキがあったことも。

 私が高校を卒業し社会人となった出社1日目には、真新しいスリーピースを新調してくれた。若い娘の夜の出歩きを親から禁止されていたのでしょう。同級生の集まりに私を連れて行ったこともあった。

 周囲から顔が似ているとよく言われたせいか、好きなことも合致していた。若い頃は時代劇の映画を連れ立ってよく見に行った。

 近年は鳥取砂丘や軽井沢などへ旅行した。中でも着替えの着物をホテルに送って3日間、着物姿で京都の紅葉を満喫したことは今でも鮮明に記憶に残っている。

 実家の畑仕事を手伝い、農閑期には近所の笹かま製造所で働く母に代わり身支度に気配りしてくれた。病気とは一番無縁と思われた姉が闘病生活を経て鬼籍に入るなんて。いまだに悔しい思いと感謝の念を抱いて思い出している。

(丹野智子 79歳 主婦 石巻市鹿妻北)