【斉藤 梢 選】
秋天に光を曳きて銀やんま羽根たをやかな秋のカンバス 石巻市開北/ゆき
【評】「秋天」は秋の季語。晴れわたった澄んだ空をゆく「銀やんま」の姿を、丁寧に描写している「光を曳きて」。短歌は何を詠むかを定めることが大切だけれど、どのように表現したらいいかを熟考することで独自な作品になる。今年の秋は短いだろうから<秋>を詠み残すには心が動いたら即、心のシャッターをきるといいと思う。この作品は、「銀やんま」が銀の光の線を曳いている空を「カンバス」に見立てているところが良い。「羽根」を「翅」とする方法も。日本の秋ならではの美しい光景を味わいたい。
我が庭の小粒で香しい花じゅうたん踏むにも踏めぬ金木犀の 東松島市矢本/奥田和衛
【評】「金木犀」の甘い香りは人を立ち止まらせる。<やさしい金木犀の香り>のハンドソープが新発売になるくらいだから、この香りは多くの人に愛されているのだろう。作者は、小さな花が散って「じゅうたん」のようだと詠み「踏むにも踏めぬ」という花を慈しむ心の裡を述べている。結句に至って「金木犀」の花だとわかる言葉の置き方が優れている。
「米送れ私は元気」の末っ子も今は堂々三児の母ちゃん 石巻市湊東/三條順子
【評】「末っ子」の成長を限られた三十一文字の中で表現していて、応援している作者の気持ちも伝わる。「三児の母ちゃん」という言葉を選んだことで、逞しく懸命に生きている子の姿を詠み残せたと思う。
萩咲いて風にコスモス遊ぶ秋ビニールプールをたたむ園児ら 東松島市矢本/門馬善通
【評】コスモスが風に揺れるとせずに「遊ぶ」として秋を告げる。下の句の具体により、園児らの姿が想像でき、一つの季節を見送ることへの寂寥感も漂う。
終戦後食糧不足のひもじさにやみ米背負いし糟糠(そうこう)の妻 女川町旭が丘/阿部重夫
アルペジオ水面(みなも)に映る月光の静と動とのコントラストや 東松島市赤井/志田正次
我が空は障子を開けただけの空狭いながらも地球の果てまで 東松島市矢本/畑中勝治
一樹より礫(つぶて)のように落下してくるや雀の再びを飛ぶ 東松島市矢本/田舎里美
人住まぬ家の軒端にひっそりと置き捨てられし牛乳の箱 石巻市あゆみ野/日野信吾
波風は思いもよらずうねり出し転覆しそうだ心の船が 東松島市矢本/菅原京子
少しずつかがやきを増す立侍の月と歩けば無心となりぬ 石巻市流留/大槻洋子
山の辺の息(こ)の家に進む秋を知る虫の音はげし十六夜の夕 石巻市南中里/中山くに子
幸せな人生だったね妹よ安堵の涙で静かに葬(おく)る 東松島市赤井/佐々木スヅ子
あと五年百歳までの年月をペンを頼りに短歌(うた)を詠みゆく 石巻市駅前北通り/津田調作
逃げ場在り余裕の持てるいい塩梅息はゆるりと健康マージャン 石巻市桃生町/佐藤俊幸
北上川の流れはつねと変わらねど心は寒し秋の夕暮 石巻市三ツ股/浮津文好
山や野の道ばたに咲く小(ち)さき花見て歩きたや若き頃のように 石巻市中里/のの花
久しぶりにサンマの豊漁賑わいて行列に並ぶ大漁祭り 石巻市門脇/佐々木一夫