このところ毎日のようにクマ出没の話題が報道されています。小さい頃読んだ本ではクマはおなじみのキャラクターで、ドングリを食べる姿が愛らしく、子どもたちの友達のようでした。
私がクマと本格的に出合ったのは高校生の頃でした。英語でクマは bear 。その語源は「重みに耐えて運ぶ」です。そこから発展して、動詞の「 bear 」には「耐える」「産む」などさまざまな意味があります。
「子グマ」にも親しみがあります。英語では cub (カブ)と言います。子どもの頃、 cub には大変お世話になりました。あの頃、出回っていたのが自転車の「カブ号」でした。 cub に乗って通りを得意げに走ったのを昨日のように思い出します。私自身にとっても、クマは友達のような存在に感じていました。ところが今は多くの人にとって「敵」のような存在になってしまったようです。
宮沢賢治の童話を思い出しました。次のようなあらすじです。
... なめとこ山の麓に小十郎というクマ撃ちの名人がいた。山林は政府のものとなって伐採が禁じられ、里では職にありつけず、クマを撃った後、肝と皮を売ることでしか家族を養う道がなかった。射止めて担いで帰る時、ぐったりしたクマに生前の姿は見るかげもなく、『次に生まれる時は、クマになるなよ』と語りかけながら山を降りてゆく ...
クマの生活圏が狭まってきて、私たち人間の居場所に入ってきました。クマと人間が同じ空間で暮らさなければならない時代が訪れたのかもしれません。「クマは友達」の時代は、今は昔となってしまったのですね。
大津幸一さん(大津イングリッシュ・スタジオ主宰)