短歌(9/6掲載)

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【斉藤 梢 選】


震災で声失いし鳴き砂も月日重ねて音取り戻す   東松島市赤井/志田正次

【評】「鳴き砂」をもつ海岸は宮城県には多い。東日本大震災の被災地となった場所では、砂が声を失ってしまった。「鳴き砂」は「踏むと、きゅっきゅっと音をたてる砂」。その音を記憶していた作者だからこそ「失いし」という悲しさが胸にある。下の句では、十五年の年月が流れたことにより「音取り戻す」と詠む。しかし、震災前は「声」であり、震災後は「音」として表現していることに、読者は立ち止まるべきだと私は思う。復興しても震災以前とは違うと、気づくことがやはり多いのだ。あの「声」が懐かしい。


七夕の笹の短冊に足留めるひらがなだけの平和の願い   東松島市赤井/茄子川保弘

【評】揺れている七夕の短冊にふと立ち止まる夏。昔は、短冊に子どもたちが書くのは将来への希望の「○○になれますように」などが多く、無邪気な願いごとが子どもらしく思われた。この日、作者が足を留めたのは「ひらがなだけの」短冊。「平和の願い」に、はっとする。他国での戦争や災害、この国の地震や豪雨による被災のニュースは子どもたちの心にも届いている。


この夏の祭りが花火が雨なれどやれるだけいい遠き地祈る   石巻市開北/ゆき

【評】夏祭りも花火も、地域にとっては一年に一度の楽しみ。「雨なれどやれるだけいい」は、地震や豪雨で夏祭りができない被災地への心寄せ。大声ではないけれども深い深い切なる祈りの「遠き地祈る」。


蜩を深く抱き込む木下闇 時雨の湖(うみ)に郷愁漂う   東松島市矢本/川崎淑子

【評】「深く抱き込む」と感受して詠んだところが優れている。作者がこの時見ている光景と、気配と情感が一首におさめられている。音と映像の世界。


すさまじき八月六日十秒の衝撃をみる身を硬くして   石巻市流留/大槻洋子

人としておかれし場所でどう生きる自然の掟素直に受けて   石巻市南中里/中山くに子

神様は何ゆえ我を生かすのか満身創痍の身にしてまでも   東松島市赤井/佐々木スヅ子

友の骨拾へぬ思ひ重たくてたそがれ寂しく雲流れゆく   石巻市門脇/佐々木一夫

水やりに十年の時かけたけど野菜の本音いまだ聞こえず   石巻市桃生町高須賀/佐藤俊幸

くじけない短歌の力根強くてすらすらペン先全てを語る   石巻市西山町/藤田笑子

土地守りの自分をせめて褒めてみる介護しながら仕事しながら   東松島市矢本/コタロウ

今は亡き従姉妹と同じ病してこんな思いでいたのかと知る   石巻市水押/佐藤洋子

胸奥に橅のみどりの風を吸い白神岳のみどりを登る   多賀城市八幡/佐藤久嘉

真夏日は終日エアコン老いの身に海辺の生家浜風恋し   東松島市矢本/門馬善道

地震後のいつもの朝の熊情報けさの耳には寂しく届く   東松島市矢本/田舎里美

山を越え谷越え行くぞこの道を短歌(うた)携えて行けるとこまで   東松島市矢本/畑中勝治

母恋し八十路の近き我なれど五人の孫の祖母になれども   石巻市流留/和泉すみ子

しとやかに咲いてた百合も散りはじめ花の命の短かさ知った   石巻市向陽町/大渡清