【斉藤 梢 選】
震災で声失いし鳴き砂も月日重ねて音取り戻す 東松島市赤井/志田正次
【評】「鳴き砂」をもつ海岸は宮城県には多い。東日本大震災の被災地となった場所では、砂が声を失ってしまった。「鳴き砂」は「踏むと、きゅっきゅっと音をたてる砂」。その音を記憶していた作者だからこそ「失いし」という悲しさが胸にある。下の句では、十五年の年月が流れたことにより「音取り戻す」と詠む。しかし、震災前は「声」であり、震災後は「音」として表現していることに、読者は立ち止まるべきだと私は思う。復興しても震災以前とは違うと、気づくことがやはり多いのだ。あの「声」が懐かしい。
七夕の笹の短冊に足留めるひらがなだけの平和の願い 東松島市赤井/茄子川保弘
【評】揺れている七夕の短冊にふと立ち止まる夏。昔は、短冊に子どもたちが書くのは将来への希望の「○○になれますように」などが多く、無邪気な願いごとが子どもらしく思われた。この日、作者が足を留めたのは「ひらがなだけの」短冊。「平和の願い」に、はっとする。他国での戦争や災害、この国の地震や豪雨による被災のニュースは子どもたちの心にも届いている。
この夏の祭りが花火が雨なれどやれるだけいい遠き地祈る 石巻市開北/ゆき
【評】夏祭りも花火も、地域にとっては一年に一度の楽しみ。「雨なれどやれるだけいい」は、地震や豪雨で夏祭りができない被災地への心寄せ。大声ではないけれども深い深い切なる祈りの「遠き地祈る」。
蜩を深く抱き込む木下闇 時雨の湖(うみ)に郷愁漂う 東松島市矢本/川崎淑子
【評】「深く抱き込む」と感受して詠んだところが優れている。作者がこの時見ている光景と、気配と情感が一首におさめられている。音と映像の世界。
すさまじき八月六日十秒の衝撃をみる身を硬くして 石巻市流留/大槻洋子
人としておかれし場所でどう生きる自然の掟素直に受けて 石巻市南中里/中山くに子
神様は何ゆえ我を生かすのか満身創痍の身にしてまでも 東松島市赤井/佐々木スヅ子
友の骨拾へぬ思ひ重たくてたそがれ寂しく雲流れゆく 石巻市門脇/佐々木一夫
水やりに十年の時かけたけど野菜の本音いまだ聞こえず 石巻市桃生町高須賀/佐藤俊幸
くじけない短歌の力根強くてすらすらペン先全てを語る 石巻市西山町/藤田笑子
土地守りの自分をせめて褒めてみる介護しながら仕事しながら 東松島市矢本/コタロウ
今は亡き従姉妹と同じ病してこんな思いでいたのかと知る 石巻市水押/佐藤洋子
胸奥に橅のみどりの風を吸い白神岳のみどりを登る 多賀城市八幡/佐藤久嘉
真夏日は終日エアコン老いの身に海辺の生家浜風恋し 東松島市矢本/門馬善道
地震後のいつもの朝の熊情報けさの耳には寂しく届く 東松島市矢本/田舎里美
山を越え谷越え行くぞこの道を短歌(うた)携えて行けるとこまで 東松島市矢本/畑中勝治
母恋し八十路の近き我なれど五人の孫の祖母になれども 石巻市流留/和泉すみ子
しとやかに咲いてた百合も散りはじめ花の命の短かさ知った 石巻市向陽町/大渡清