【佐藤 成晃 選】
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年末の準備と言えばお年玉≪一葉≫抜いたり≪諭吉≫入れたり (東松島市赤井・佐々木スヅ子)
【評】年末が近づいてくると、お年玉を用意するのが作者の年中行事みたいにセットされているのだろうか。否、たいていのお年寄りの楽しみなのかもしれない。対象はお孫さんたち。金額をいくらにするかが頭痛の種。年齢と金額を天秤(てんびん)に掛け、誰からも不満が出ないようにするのがコツだ。≪一葉≫≪諭吉≫はお札(さつ)の肖像のことを言っている。出したり入れたりして天秤の傾き加減を調節している様が見えるようだ。楽しいお正月であってほしい。
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光合成の役割済ませた紅葉なり静かに散りて春を待ちおり (石巻市桃生・三浦多喜夫)
【評】季節の移り変わりを詠む作品のなかに、「光合成」という科学用語が上手に取り込まれた一首である。なんの働きもない雑木と見えても、人間のために酸素を吐いてくれていたのだ。その仕事が終わって休息に入った紅葉だというのだ。紅く色づいて散った葉は、静かに春を待っている。植物に対する温かなまなざしはひと通りではない。この作品に感動する陰には、作者の植物に対する温かい姿勢にも納得させられている自分がいるはずである。
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行き場なく慰霊の丘に寄せ返す戻らぬ日々が寄せては返す (多賀城市八幡・佐藤久嘉)
【評】上の句に「寄せ返す」、下の句には「寄せては返す」と同意の表現が繰り返されて詠まれている。寄せ返るのは「戻らぬ日々」である。3.11がこのような形で作者には思い出されて仕方がないのだ。やり場のない悔しさで慰霊の丘に何回も足を運ぶ作者像と、暇さえあれば3.11を思い出されてならない日常の二重構造の毎日。しかも慰霊の丘に何回も訪ねてくる悔しさを抱えた霊たちへの想いも重なる。思わず合掌する。
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金婚もいつしか五年も過ぎ去れば苦労話が黄金(こがね)に光る (石巻市蛇田・菅野勇)
母の姉百七歳で身まかりぬ父の命日に知らせが届く (東松島市矢本・川崎淑子)
献立を走り書きしたメモ見れば淡黄の紙にやさし母の字 (石巻市大門町・三條順子)
吊るし柿一つはずせば父浮かび十個はずせば母の笑顔が (石巻市南中里・中山くに子)
皺(しわ)よりて染みや血管浮く甲をしみじみ見つむ八十四歳 (石巻市中央・千葉とみ子)
一秒に一滴ほどの雨だれが庭のブロックをコツコツ削る (石巻市流留・大槻洋子)
コーヒーに一滴が効くウイスキー幸せですかと己に問いぬ (石巻市桃生・千葉小夜子)
危ぶみし床上浸水始まりてみるみるうちにくるぶし浸す (石巻市駅前北通り・庄司邦生)
薄明の静寂破るバイク音 五十が運ぶ印字の香り (石巻市北村・中塩勝市)
海あらし過ぎれば元の朝の凪(なぎ)エンジン荒く漁場(りょうば)へ向かう (石巻市水押・阿部磨)
雪山をふと見上げれば虹立ちて硫黄の匂へる鳴子温泉 (仙台市青葉区・岩渕節子)
愛妻は残業終えて帰り来ぬ起居するたびに魚(うお)の香(か)うごく (女川町・阿部重夫)
告知受けても心意外に静かなり全て受け入れ今日を生きたし (石巻市真野・高橋杜子美)
晩秋の寒さきびしき早朝に餌場(えさば)目指して雁が列なす (石巻市鹿又・高山照雄)
芸能祭乞はれて歌ふ十八番鶴田浩二の「傷だらけの人生」 (石巻市三ツ股・浮津文好)
役目終えし仮設住宅解体に暮らせし人の想いが滲む (石巻市不動町・新沼勝夫)
酔ひすすみ秋の深みに溺れこむサンマ肴(さかな)にほてる熱燗 (石巻市門脇・佐々木一夫)