【佐藤 成晃 選】
===
ペン持てば鮪(まぐろ)の海と鮭(しゃけ)漁の想いが走る洋の果てまで (石巻市駅前北通り・津田調作)
【評】「ペン持てば→想いがはしる」という構造である。ペンを手にすることをきっかけにして、思いは若き日に漁労に走り回った大洋へ飛躍すると言う。地球の果てまで追った鮪や鮭。ただただ生活のために走り回った世界の海だ。十分に老いた今も、ペンを握れば歌心が騒ぐ。しかも、老いてから始めた短歌道だ。難儀した若き日の一日一日が昨日のように思い出される。遠い過去のことながら、「短歌」に関わってから一段と生活の内面が豊かになったのではないか。選歌が楽しい一人である。
===
片割れとなりたる湯飲みは織部(おりべ)にて亀甲(きっこう)紋の緑の深く (石巻市向陽町・後藤信子)
【評】湯飲み茶碗も夫婦も二人(二つ)で揃いとなるのだが、今は「片割れ」になってしまった。御主人が他界されたのである。主人愛用の織部焼の湯飲みが残った。「亀甲紋の緑」の濃い茶碗である。亀甲の模様と言い、緑の濃さと言い、亡くなったご主人のあれやこれやにつながるものばかりだ。ことに茶道を極めた作者が見つめる織部のさまざまな表情は、かつてのあの日のご主人のしぐさや表情を思い出させる物なのだろうか。続いての佳作を期待したい。
===
古稀過ぎに津波 傘寿はコロナきて卒寿は何だろう 生きて見てやる (東松島市赤井・佐々木スヅ子)
【評】3・11は「古稀過ぎ」だった。傘寿の今はコロナウイルスに苦しめられている。まだ先のことではあるが、卒寿(90歳)には何がおこるだろうか。この目でしかとみてやろうではないか。なんと気持ちのいい啖呵(たんか)。こんな心意気で生きていこうとする作者の人生観に脱帽する。短歌という形はあるのだが、思いっきり形をはみ出した勢いを買いたいと思った。思いを素直に吐き出すことが短歌の基本なのだから。
===
とうせんぼ 三月四月の施設では何を考えているんだか婆ァ (石巻市恵み野・木村譲)
娘(こ)の家に宿りに行くと張り切って行ったり来たり施設の廊下 (東松島市大曲・菅原清孝)
生あるはいつでも逝くが運命にてあまりに早し志村の殿様(との)は (東松島市矢本・奥田和衛)
目覚むれば先ず検温し記録するコロナに学ぶ健康管理 (石巻市南中里・中山くに子)
ゆるり舞う鳥の眼下は日差し浴び今日か明日かの蕾(つぼみ)のさくら (石巻市大門町・三條順子)
今夜また鉛筆ノート枕辺にただ置くだけの深夜便聞く (石巻市清水町・岡本信子)
茹であげし蝦蛄(しゃこ)の兜(かぶと)をはぎとりて食らひ語りし浦の浜辺に (石巻市門脇・佐々木一夫)
潮満つる追波(おっぱ)の海は煌(きら)めきぬ荒ぶるあの日の仮面を捨てて (東松島市矢本・川崎淑子)
湯上りに期限まぢかの牛乳を飲んで弥生の暦を捲(めく)る (石巻市中央・千葉とみ子)
亡き母が遺(のこ)せし鶴亀の帯裁(た)ちて手提げに直し命日参り (石巻市須江・須藤壽子)
汝(な)が死ねば次の日俺もすぐ死ぬと言いくれし夫の逝きて十年 (石巻市高木・鶴岡敏子)
なかなかに手ごわきものは抗癌剤骨まで痛む眠れぬ夜は (石巻市真野・高橋としみ)
やわらかな日差しを浴びてボール打つ老若男女我らの五松山 (石巻市水押・小山信吾)
鎮魂の鐘響く街は姿変え新たな丘に人ら集い来(く) (東松島市赤井・茄子川保弘)
引き潮の磯海苔(いそのり)摘みし岩肌の陰よりきこゆ人影なきに (女川町・阿部重夫)
型どおりの科白(せりふ)で返事のカウンター幾度も問えば人間(ひと)の表情 (石巻市開北・星ゆき)
山々に淡いジュータン敷きつめてかすみの空に山桜咲く (石巻市桃生・西條和江)