短歌(4/5掲載)

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【佐藤 成晃 選】

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ギリシャより空輸されたる聖火をばスモークで迎えるブルーインパルス  (東松島市矢本・奥田和衛)

【評】ギリシャからの聖火を積んだ飛行機が、松島基地の滑走路へ降下してくる映像には感激した。いよいよだ、の感激だった。その雄姿を歓迎する5色のスモーク。強風でなかったら、5色の五輪を描いたのかもしれない。ただ、コロナウイルスで東京五輪は延期になってしまった。けれどもこれを幸いとして前向きの対応をしていくのが国民の努めかもしれない。まずは感動をありがとう、と叫びたい。

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海の香を男の心にしみ込ませ漁師一筋五十年余り  (石巻市水押・阿部磨)

【評】50年余りの漁師生活に、ある満足感を抱いての作歌であろう。「男の心にしみ込ませ」の言葉遣いから、初めのうちは「大変な仕事」だと感じて、その仕事にむりやり体を慣れさせた雰囲気にも読める。最初のころの仕事への違和感を克服しての50年余りの漁師生活。その満足感みたいなものに読者は癒されるのではないだろうか。思い出としての漁師生活であっても、作品として詠みついでいってほしいものだ。

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日記帳埋めゆく先に広がるは我だけにある記憶の倉庫  (石巻市南中里・中山くに子)

【評】毎日、日記をつけることを習慣としているのだろうか。一年用日記帳、三年用日記帳など日記帳にもさまざまな物が商品として店頭に並ぶ昨今である。この日記帳が満杯になったあとの楽しみが格別だ。「記憶の倉庫」と例えているが、まさにその通り。「記憶の花園」でもあるのだ。振り返ることの楽しさを独り占めにしている作者が見えるようだ。

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六十五年妻と迎えし弥生月春陽射す日も雪降る時も  (石巻市駅前北通り・津田調作)

ひとつ事片付け済みてひと日暮れ二つとはできぬ老いの日常  (石巻市羽黒町・松村千枝子)

九年を住みしマンションまほろばと余命いくばく寿命に任す  (石巻市中央・千葉とみ子)

ねむの木のみやぎまり子の訃報聴く新型コロナうずまく春に  (石巻市恵み野・木村譲)

上ばきにわらぞうり履き学び舎の廊下駆けにき学童われら  (石巻市駅前北通り・庄司邦生)

静寂の中で戦う力士たち行司の声がこだましている  (石巻市水押・佐藤洋子)

あたたかな春の日差しに餅草を摘みて搗(つ)きたり彼岸の入り日  (石巻市桃生・三浦多喜夫)

春浅き湯の里秋保で酌(く)み交わし老躯(ろうく)を癒す一時の至福  (石巻市わかば・千葉広弥)

北上の流れと並び懐かしや和渕の里の友の面影  (仙台市泉区・米倉さくよ)

井戸水も木炭七輪も使いたるあの日を思う九年過ぎぬ  (石巻市蛇田・千葉冨士枝)

主のいない家に咲いてる梅の花どこか寂しくやさしさ香る  (石巻市不動町・新沼勝夫)

八十路(やそじ)という文字に捕らわれ自らを<老い>にはせぬと頬に紅さす  (東松島市赤井・佐々木スヅ子)

ヨシ刈りも人手不足かボランティアの喜々と働く老いも若きも  (仙台市青葉区・岩渕節子)

下北に短命の父訪ぬれば彼岸の墓も陸奥(むつ)湾も春  (石巻市渡波町・小林照子)

笑み浮かべ「また会えるかね」と友が言う握る力は以前よりよわし  (石巻市須江・須藤壽子)

人間のおごり諫(いさ)めるかのごとくこれでもかとぞコロナが攻める  (石巻市向陽町・中沢みつゑ)

身から出た錆とは言えどかなしけれ孫にも子にも逢えぬわが身は  (石巻市三ツ股・浮津文好)