コラム:カタカナ語考(上) コロナ騒ぎの中で

 先月22日、河野太郎防衛相が自身のツイッターで、新型コロナウイルス対応で横文字の専門用語が多用されていると批判。「クラスター」(集団感染)、「オーバーシュート」(感染爆発)、「ロックダウン」(都市封鎖)と列挙し、「なんでカタカナ?」とつぶやきました。

 英語が堪能で、政界屈指の138万人以上のフォロワーを誇る氏のこの意見に、24万超の「いいね」が寄せられ、話題となりました。「日本語で言えることをわざわざカタカナで言う必要があるのか」と思う人も多いようです。

 そこでこれを機に、本コラムでは「カタカナ語」について皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

 私はこれまでカタカナ語についての著書を出版する幸せに預かりました。「カタカナ語 目からウロコ」(河北新報出版センター、2010年)および「カタカナ語 なるほど、そうか!」(同、2016年)の2冊です。既にお読みくださったかも知れませんね。

 「目からウロコ」の中で、カタカナ語の持つ六つの効果を述べました。その一つが「オブラート効果」です。

 例えば「クレーム」。この言葉はもうすっかりおなじみになりましたが、「苦情」「異議」などの日本語に置き換えると、かなり険しい響きになります。(もっとも、元々の英語 claim は「主張」「権利」を表す言葉で、「苦情」という意味はほとんどないことも記しました。)

 また、「テロ」をそのまま「恐怖」としたのでは、身の毛がよだつ感じになります。ただし、この効果は「真実をオブラートで体裁よく隠す」という「負」の性格を帯びていることも事実です。

 次回は他の「効果」も紹介しながら、カタカナ語について私なりに考えることを述べてみたいと思います。

大津幸一さん(大津イングリッシュ・スタジオ主宰)