投稿より 「遠洋漁船員の妻」

 私はマグロやカツオを追って世界中を巡る遠洋漁船員でした。若いときに妻と一緒にいられる時間は限られました。一人娘の育て方を相談する相手がいなくて寂しい思いをさせました。

 妻きい子とは、共に20歳の時、仙台市の広瀬川花火見物で知り合いました。昭和28年8月。友だちとはぐれた妻を六郷の自宅まで外灯のない暗い道を徒歩で2時間かけて送りました。翌日、西公園で初デート、映画鑑賞、食事と楽しい時間が瞬く間に過ぎました。

 この日、結婚の話をしました。私は翌日、石巻港を出港するサンマ漁船に乗ることになっていました。「4年待ってください」。指切りで別れました。

 4年後、帰国し、きい子に会いに行きました。「必ず来ると信じて待っていました」と言ってくれました。たくさんの縁談を断ったそうです。約束した日からちょうど4年目の昭和32年8月20日、結婚しました。

 新婚生活を7日間だけ味わった後、静岡県の焼津港からマグロ船に乗り込みました。29歳まで南太平洋やインド洋などで漁を続けました。仕事が忙しく、焼津に帰港後、上野から夜行列車で帰り、朝着いたその日の夕方に焼津に向かったこともあります。

 40歳の時です。風疹にかかって自宅療養し、回復して仕事に出ようとしたら、妻に「また行くなら離婚する」と迫られました。「この19年で家にいたのは2年2カ月だけ。私の寂しさを分かってくれる?」。私は船乗りを辞めることを決めました。以降は仙台市の食品製造工場で働きました。

 妻は昨年1月、病気で亡くなりました。互いに若いときの写真を大切に持っていました。写真に「ありがとう」と言うと、泣き顔を思い出します。

(佐々木光男 90歳 仙台市若林区下飯田)

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