河北新報特集紙面2020

2021年3月27日 復興の今を知る中学生記者がその学びを未来へ。



今できることプロジェクト

宮城学院中学校

今できることプロジェクト
五十嵐 凛 さん(3年)
 私と同じ世代だと、東日本大震災当時の記憶がない人もいると思います。だからといって「自分は記憶がないから~」「被害がなかったから~」で済ませないでください。被災者の中には、津波の恐怖がよみがえるため、今でも蛇口をひねるときに耳をふさぐ人や、湯船に入れない人がいるそうです。
 もし自分が被災者だったら、どういう状況になるだろう…。とても想像なんてできません。しかし、当時の映像などを見て学ぶことはできます。過去には戻れませんが、過去から目を背けずに学び、常に想像力を働かせながら、日々生活することはできます。
 一人一人の意識で、これからのあなたの未来と、家族の未来を変えることはできます。
 私たちは一度経験しています。学んでいます。今どう備え、そして次どう行動していくかが試されています。
 東日本大震災から10年。節目の日を迎えるにあたり、もう一度あの日のことを振り返ってみてください。知っているつもり、分かっているつもり、備えているつもり…、なんでも「つもり」だけの行動になっていませんか?震災を見て見ぬふりをしないでください。もう二度と同じ過ちを繰り返さないために。
今できることプロジェクト
齋藤 はるな さん (3年)
 お話を伺った丹野祐子さんら3人は、元々閖上と関わりが深かったわけではなく、結婚やお店の出店などで閖上に縁を持つようになりました。私自身、津波被害を身近に感じていませんでしたが、今回参加して「将来、誰でも津波被害に遭うかもしれない」と感じました。
 また「地震や津波のことを学んでいたつもり、用意していたつもりだった」という丹野さんの言葉にハッとしました。これを機に、もう一度備え直そうと思います。皆さんも、防災の授業や、被災地に行ったときに「もし自分が相手の立場だったら」「もし自分の住んでいる町でこのような災害が起きたら」「もし今大地震が来たら」と、自分のこととして想像してみることが大切だと思います。
 記憶を風化させず、過去を生かして、より良い未来になるように行動できるよう、学びを深めていきたいです。
今できることプロジェクト
堀切 こころ さん(3年)
 現在、閖上を含め多くの被災地は、被災したことを感じさせないほどきれいになってきています。しかし被災者の「心の復興」は、まだまだ途上なのではないかと思いました。
 あの日の出来事をまだ語ることができない人、水が怖くてお風呂に入ることをためらう人、蛇口をひねったときに耳をふさいでしまう人。そのような人たちがまだいるという現実を、語り部の丹野祐子さんに伺って、初めて知りました。多くの人にこの現実を見つめ直してほしいと感じました。
 「あの日、何があったのですか」。被災された方に声を掛け、一人一人に寄り添い、震災を過去の話にしないこと。それが真の復興へと向かうために、私たちが今できることなのだと思います。人々の心に再び笑顔の花が広がるよう、私たちが今できることを一歩ずつ進め、今ある命を大切にして生きていきたいです。
今できることプロジェクト
前元 葵華 さん(3年)
 語り部の丹野祐子さんは震災前、名取市閖上の街の真ん中、青い屋根の家に住んでいました。丹野さんは宮城県沖地震も経験していましたが、喉元過ぎればケロッと忘れ、「学校が休みでラッキー」というくらいにしか思っていなかったそうです。大きな地震を一度経験しているにもかかわらず、その場にいた人たちに避難を促すことができなかったことが本当に情けない、とつらそうな顔で話していました。
 丹野さんの話を聞いて「親より先に死んではいけない」という言葉が強く心に残りました。息子さんに「さようなら」も言えずに、二度と会えなくなってしまった丹野さんの深い悲しみが垣間見えたような気がしました。
 鮮明とは言えませんが、私にも震災の記憶があります。自分の経験と今回のプロジェクトを踏まえ、もしまた震災が来たときには後悔のない行動ができるようにしたいと思います。
今できることプロジェクト
阿部 雅 さん(2年)
 今回の「今できることプロジェクト」を通して学んだことがたくさんありました。仙台市の中心部近くに住んでいる私にとって、「被災」はあまりなじみがないものでした。
 しかし閖上を訪問し、町はきれいになっているけれど物がほとんどなくなってしまっているのを目の当たりにして、震災というものの恐ろしさや、被災地が受けた被害の大きさを実感しました。
 たくさんの学びの中で心に残ったものは、閖上地区で語り部活動をされている丹野祐子さんに見せていただいたビデオと講演です。まだ続くと思っていた「あとで」や「明日」が、いつ終わってしまうか分からないのだから、たくさんの人との時間を大切にしていきたいと考えました。
今できることプロジェクト
男鹿 奈々羽 さん(2年)
 私は学んだことが二つあります。
 一つ目は、地震や津波を侮ってはいけないということです。「閖上には今まで大きな津波が来なかったから、震災の時も大丈夫だろうと思っていた」という丹野祐子さんの言葉が印象に残りました。今後こういった災害が起きたときは、まず津波が来ることを想定し、高齢者の方々や地域の皆さんを早く避難場所に連れて行き、自分と皆の命を守ろうと思いました。
 二つ目は「仲間」は困った時に助け合う、とてもかけがえのない存在だということです。「ももや」や「ささ圭」では、震災でレシピなどが流失する中、震災前の味に近付けようと従業員らが試行錯誤を重ね、地元の皆さんも協力してお店や味を復活させました。「仲間」がいなかったら、早く復活できなかったかもしれません。この話を多くの人に伝えて、震災で悲しむ人を減らしたいと思いました。
今できることプロジェクト
常盤 るりか さん(2年)
 「『さよなら』も言えずに、もう二度と会えなくなるなんて思わなかった…」。震災で息子さんを亡くした、語り部の丹野祐子さんの言葉が心に残りました。
 震災当時私は4歳で、幼稚園から帰ってきて家に入った瞬間に大きな揺れが起こりました。津波の被害を受けた地域などの悲惨な映像や、余震におびえて不安と恐怖が絶えなかった日々の記憶は今でも思い出されます。ですが、震災で自分の家や会社、そして最も大切な人を亡くされた方々は、私たちの想像を絶するほどのつらさだということを、痛感しました。丹野さんの話を伺って、私の周りにいる友達や家族の存在がとても大切に思えました。
 閖上の方々から教わったことを、自分自身の心に刻み、そして他の人にも伝えることで、少しでも思いを受け継ぐことができればと思っています。
今できることプロジェクト
中村 瑞姫 さん(2年)
 私は今回、初めて閖上に行きました。思ったよりも復興が進んでいて、地元の方もとても優しくて、とても温かいところでした。
 中学生の皆さんの中には、「東日本大震災は関係ない」「被災地は近寄り難い」と思って、遠ざけている人もいると思います。ですが今回被災地に行ってみて、何事も体験してみないと始まらないということを、あらためて痛感しました。
 また、体験者の話を聞いただけでは次の世代に受け継ぐことができないし、実際に体験した人や実際に被災地へ行った人など「行動を起こした人」ならば受け継げるのではないかと思いました。
 私は、同世代の人や次の世代の人にもどんどん自分から行動を起こして、震災のことに限らず自分の知らないことを自分の力で知ってほしいと思いました。
今できることプロジェクト
秦 くるみ さん(2年)
 私が今回の「今できることプロジェクト」に参加して、一番強く感じたことは「忘れない。語り継ぐ。」ということが今私たちにできること、していかなければならないことなのではないか、ということです。
 当時中学1年生だった息子さんを津波で亡くされた丹野祐子さんのお話を伺いました。「息子が生きていた証しを残したい」「震災を過去のものにしてはいけない」という強い思いには、つらい記憶にふたをせず、誰かに知ってもらおうとする前向きさを感じました。
 震災の記憶は、誰かが語り継がなくては必ず風化してしまいます。だからこそ、亡くなった方々が確かに閖上に生きていたということ、「生きていることが一番大切である」という丹野さんから私が受け取ったメッセージを、多くの人に伝えていきたいと思います。
今できることプロジェクト
渡邊 結 さん(2年)
 今回、私は「今できることプロジェクト」で学んだことが二つあります。
 一つ目は「心の復興」です。このプロジェクトに参加する前は、建物が建てられて震災の面影をなくすことが復興だと思っていました。ですが、語り部の丹野祐子さん、「ささ圭」の佐々木さんもおっしゃっていたように、震災を経験した一人一人の「心の復興」もあると学びました。震災から10年が過ぎようとする今でも、水に触れられない人や、お風呂に入れない人などがたくさんいらっしゃいます。本当の復興とは、建物だけでなく震災に遭った一人一人の心が笑顔になり、震災の悲しみを語り続けることではないのでしょうか。
 二つ目は「閖上」です。私は、友達に会いに行くときや試合のときに、海の近くに行くくらいで、「閖上」という場所に行ったことがありませんでした。ですが、このプロジェクトで取材をして閖上を知るほど、閖上のことが好きになっていきました。
 閖上には「ささ圭」というおいしい笹かまぼこ屋さんや、「ももや」のカツ丼、ナチュリノのジェラートがあります。震災を経験し、悲しみを乗り越えていく。このことを経たからこその味が、閖上で味わえることを学びました。
 閖上は、震災で700人以上の犠牲者を出しています。けれども、悲しみから立ち上がり、一歩ずつ歩んだからこそ、今の閖上があるのだと私は思います。震災の傷はすぐには消えないけれど、一つ一つ前を向けば、私たちはあの悲しみを繰り返さないようにできると信じています。
今できることプロジェクト
影澤 あかり さん(1年)
 私は震災の記憶が全くないのですが、語り部の丹野祐子さんのように、東日本大震災を体験した人が語ったことを、周囲の人に語り継ぎ、世の中に発信することはできると思いました。
 今回取材した方たちは、震災を乗り越えてあきらめずに行動したからこそ、今があるのだと思います。東日本大震災は日本だけでなく世界にも知られる出来事になりました。このような悲しみが今後も起きてはいけないと、いま行動している人がたくさんいることを知りました。
 私は、またこのような震災があったら、日ごろの備蓄ととっさの的確な判断が必要になってくると思いました。東日本大震災で亡くなった方のために、生きられなかった人の分まで生きて、この震災のことを世の中に伝えていきたいと思います。
今できることプロジェクト
柏倉 彩乃 さん(1年)
 私が今回の取材を通じて一番印象的だった言葉は、語り部の丹野祐子さんがお話してくださった「自分の経験した事がないことを想像するのは難しい、予期しない事が起きた時にどう行動するかを想像できる大人になってほしい」ということです。
 もし私たちがこの震災を伝承しなかったら、記憶は風化し、いつか忘れられてしまうと思います。「歴史は必ず繰り返す、また同じことは絶対起きる」と丹野さんは教えてくれました。
 形のあるものは失われても、技術や記憶は伝承できます。私は丹野さんの言葉を心に刻み、100年先、1000年先にも受け継がれるように後世に伝えていく「架け橋」になりたいと思いました。
 そのために、家族や地域社会と震災の教訓や知識を共有し、信頼関係を築いていきたいです。もしもの時に最善の行動ができるよう、常に想像力を働かせて生活することの大切さを伝え続けようと思います。
今できることプロジェクト
菅野 舞 さん(1年)
 私は同世代の皆さんに「苦しみや悲しみを乗り越えて、前向きに人生を進んでいる人がいる」ことを伝えたいです。
 語り部の丹野祐子さんは、震災で息子さんを亡くし、つらい経験をしたのに、前向きに捉えてあの日のことを語り続けて、震災後の人生を歩んでいます。
 「ささ圭」は津波で工場などが流されましたが、唯一残った売店で「手わざ」で笹かまぼこを作るという前向きな考えを持ち、わずか4か月足らずで店を再開しました。
 「ももや」のカツ丼は、当時の店の味を再現するために、1枚の写真とどんぶり一つしかない状態から、地域の人々の協力も得ながら復活させました。皆さん、とてもすごい行動力だと思いました。
 私たちの同世代や、これから生まれてくる人たちに向けて、東日本大震災のことや、復興に向けて頑張っている人がいることを伝えていきたいと思います。
今できることプロジェクト
菊田 あかり さん(1年)
 閖上で出会った方々は皆さん親切で元気。地震と津波で数々の苦労を経験したのに、めげずに前に進んでいました。
 「人はいろいろなことを経験した分だけ心が豊かになれるんだよ」。閖上で生まれ育った祖母が私に語ってくれた言葉です。閖上の方々とその言葉が重なり、祖母の歴史が見えたような気がしました。
 震災時の記憶はあまりありません。しかし今回の取材を通して、想像よりはるかに大変な出来事だったのだとあらためて感じました。命や日常は簡単に壊れてしまうことも痛感しました。家族や友達、周りにいる方々に支えられ、いまを生きていられることを自覚しました。周りの人と助け合える自分、命を大切にできる自分になりたいです。
 未来へと進む自分の気持ちや願いとしっかり向き合って、自分に何ができるのかを探していこうと思います。
今できることプロジェクト
栗山 佳子 さん(1年)
 私は今回の「今できることプロジェクト」で学んだことが二つあります。
 一つ目は命の尊さです。語り部の丹野祐子さんが「生きてほしい」と熱く語られていたことが心に響いたからです。今後つらい時がたくさんあるかもしれませんが、そんな時は丹野さんが語られていた「命の尊さ」を思い出したいです。
 二つ目は、強い意志を持って前向きに物事を捉えることです。震災で被害を被っても、「味を復活させよう」「語り継ごう」と、物事を前向きに捉え、強い意志を持つ様子を見習い、今できることを考え、実践したいと思います。
 今回のツアーを通して、私が今できることは「震災についてもっと知ること」だと気付いたので、今後は「閖上」や「東日本大震災」についてもっとたくさん調べたいと思います。
 そして震災の記憶がなくならないうちに、たくさんの人にこれらのことを伝えていきたいと思います。
今できることプロジェクト
志摩 有希乃 さん(1年)
 私は、まもなく3歳になるときに東日本大震災を経験しました。急に携帯電話が鳴って驚きましたが、その時は「ピピピってうるさいなぁ」と思ったくらいでした。
 家に帰ると、皿や花瓶が全て割れ、壁にヒビが入っている状況でしたが、私はのんきに懐中電灯で遊んでいました。石巻の祖母の家が津波で流されたと聞いた時も「新しい家になるんだ。いいな~」と思っていました。
 今回、津波が家々を襲っていった映像を視聴し、語り部の方の話を聞きました。あの時、閖上で多くの人が犠牲になり、多くのけが人が出たということを知り、「なんてのんきだったんだ」と恥ずかしくなりました。
 私と同い年か、年下の人たちはあまり覚えていないかもしれません。そんな人たちこそ、語り部の方たちのお話を聞いたり、閖上に行ったりすると、東日本大震災についてよく分かります。みなさんも行ってみてください!震災直後とは全く印象が違い、ソウルフードを味わえたり、かまぼこの手焼き体験ができたりしてとても楽しいところです。
 私たちが行った「閖上の記憶」では、亡くなった生徒さんたちの遺品などが展示されていてとても関心を持つことができました。
 被災地に行って、自分の知らない「震災」や「地震」を詳しく学べて、とても勉強になりました。また、震災や津波を知らない人たちに語り継いでいこうと強く思いました。
今できることプロジェクト
鈴木 ひかり さん(1年)
 私は今回参加して、もっと震災のことを周りの人に伝えたいと思いました。
 震災が起きたとき、私はまだ幼くて、閖上の津波の被害をあまり詳しく知りませんでしたが、語り部の丹野祐子さんや、ささ圭の佐々木さん親子、飛梅の松野水緒さんのお話を伺い、大切な人、思い出の家や物を奪っていった津波の悲惨さを知りました。東日本大震災により家や大切な人を失った方々がいること、今も心に傷を負っている方がいることを忘れてはいけないと思いました。今回お話をしてくださった方々の言葉は、一つ一つ重みがあり心に残りました。
 これからは、震災を経験していない子どもや、忘れてしまった子どもたちに、当時の状況や人々の思いを伝え、災害に備えて避難訓練や食料、水の準備に真面目に取り組もうと思います。

2021年3月27日現在